どうしてあの時、きちんと弟がついてきているか確認しなかったのかと、思う。
階段を駆け上がり、城が炎に包まれているとわかってから、リースはようやく背後から続く足音が無いことに気がついたのだ。振り返ってみれば、闇へと沈みこんでいく階段の向こうからは何の音も聞こえてこない。
「エリオット!?」
呼びかけには何の反応も無く、かすかに下に向かって反響していくだけだった。
外からは炎に炙られて焼けた空気が入り込んで熱い。リースは一瞬だけ躊躇い、勢いよく上がってきた階段を駆け下りていく。
盲目の父のことも心配だが、他の仲間たちもいる。だが、エリオットのことを知っているのは自分だけだ。
果てしなく思えるほど深く続く階段が切れると、広がったのは風を操る広間。
だが、そこには誰一人いなかった。
エリオットだけではなく、黒装束に身を包んだ二人組みの男たちもだ。
「エリオット、どこに行ったの!」
リースは蒼白になり、辺りを見回す。この部屋は宝石を納める場所があるだけの小さな空間で、もちろん隠れられる場所などどこにもない。そして、あの長い階段をリースのあと上がってきた者は誰もいなかった。
―――あの男たちに、攫われたのだ。
急激な浮上感にリースが目を開けると、目の前に現れたのは、煌々と燃え上がる炎だった。かすかな熱が届き、まだあの日にいるのかとリースは頬を引きつらせる。
ぱち、と木が爆ぜる音がした。
「目、覚ましたのか」
不意に入り込んだ男の低い声に、リースは掛け布を引っつかんだまま飛び起きる。こわばった顔のまま声の方向へ目を向けると、訝しげな表情をした青年がこちらを見つめていた。その濃茶色の髪は炎の明かりが届かず闇に沈み、半分溶け込んでいるようにも見える。
「……あ、すみません」
「いや」
思わず謝ると、青年は言葉少なく返してくる。ウェンデルまでの旅の途中で道連れになり、何の縁かこうして旅を続けているが、まだやはり慣れない。ローラントのことを夢に見たせいだろう、すっかり警戒するような目を向けてしまったと、リースは反省した。
青年―――デュランは木に寄りかかっていて、眠ってはいなかったようだ。
「うなされていたぜ。弟の夢でも見たのか」
リースは自分の表情が凍りつくのを自覚した。たぶん自分は彼を睨みつけているだろうと思う。無造作に放り投げられた言葉を、聞き流すわけにはいかなかった。
「何故、それを」
「辛そうに名前を言ってたからな」
リースの敵意のこもった視線を受けてもデュランは気にした様子もなく、さらりと答える。そういえば、夢の中でもずいぶんと弟の名を連呼していたのだ。リースは安堵の息を吐いたものの、一体自分がどんな状態で寝ていたのかと考えると恥かしくなってきた。
「私、寝言を言っていたんですか?」
「そうだな、ちょうどあんな感じだったか?」
少し考え込んだあとデュランが親指で示した先には、獣人と人間の血を受ける少年が毛布に包まり丸くなって眠っている。獣避けに燃やしている焚き火に紅く照らされた眉が、泣き出しそうに歪められた。
「……カール……」
ぐす、と鼻が鳴る。鳴き声に似た声音で親友の名を呟き続ける彼の閉じられた瞳からは、今すぐにでも本当に涙が零れ落ちそうだった。
泣きながら眠る、という芸当を器用にやってのけているもう一人の旅の道連れを見つめて、リースの背中を冷や汗が伝っていく。
まさか、本当に?
「もしかして、泣いてましたか?」
ぎこちなく首をデュランの方へ向けると、彼はケヴィンの方を見たままだった。
「いや、泣いてはいなかったな」
「……」
リースは思わず睨みつけてしまったが、こちらを見ていないデュランは当然ながら気付かない。
デュランは目の前の炎を見つめると、重く呟いた。
「あんたも、こいつも、護れなかったものがあるんだろう? 夢にまで見たっておかしくないんじゃないのか」
リースがあの日喪ったものは、弟だけではない。非情なる劫火の中で、父も、仲間たちも、今まで過ごしてきた時間も、すべて奪われた。
ケヴィンも、たった一人親友である狼を自分の手にかけたのだという。
そしてこの人も同じように護れなかったのだ、とリースは滝の洞窟の入り口で聞いた話を思い返しながらデュランを見た。
たった一人の魔導師に攻め入られ、抵抗するすべもなく城の警備に当たっていた兵士たちは全滅したという。その唯一の生還者。奪われた尊い命の上に、彼は生きている。
「そうじゃなきゃ、わざわざウェンデルまで救いを求めになんてこないだろうよ」
「……そうですね」
力強く紡がれた言葉に、リースは頷いた。
護れなかったもの、失われたもの、二度と帰らぬもの。自分たちは同じ境遇の下で出会い、旅を続けているのだ―――いささか巻き込まれたような感は否めないにしても、こうして三人精霊を見つけるため行動を共にしている。
自分はこの旅の果てで、エリオットを見つけられるのだろうか。他の二人の願いは叶えられるのだろうか。
どうか、女神様。私たちに祝福を。
夜空を見上げたリースは、祈らずにはいられなかった。
END
2006.12.10