はっと我に返り阿高が隣を見やると、小さく座り込んだ彼女は実に楽しそうに微笑んでいる。ばつが悪そうに阿高が頭をかくと、苑上は興味深げに身を乗り出し向かい合う広梨や藤太に疑問をぶつけた。
「それはどういうものなの?」
尋ねる瞳は活き活きと輝き、乗せられるように広梨と藤太は会話を再開する。茶化し突っ込みを入れながら語られる武蔵の出来事に、苑上はまるでそれを目の前で見ているかのように反応し笑っていた。
初めに鈴鹿丸として出逢った頃のようだ。あのときも彼女は無邪気な子供のように質問を重ね阿高を苛立たせていた。もちろん、今はそんな気持ちは微塵も湧き上がらない。
口出しせずにはいられなくて、阿高も再び話の輪に混ざり始めたが、先ほどの苑上の笑顔が頭から離れなかった。
「鈴」
ふと近づいてくる見慣れた小さな影に、阿高はその名を呼びかけた。応じる彼女の目が少し眠そうなのは、きっと喋り疲れたに違いない。
小さな炎が生み出す灯りに浮き上がるその姿を見ていると、阿高の傍で薪がはじける乾いた音がした。
苑上は阿高の傍まで寄ってくると、ごく当然のように隣に座り込む。もう少し起きていてもいいかと首を傾げて尋ねられ、阿高はかすかに眉を寄せた。
「眠いだろう」
「もう少しだけ。明日足手まといにはならないようにするから」
苑上の言葉に阿高はさらに眉をしかめる。言いたいのはそういうことではないのだ。むしろ彼女はよくついてきていると思う。
ただの労りではないその気持ちを上手く形にできず、阿高は苑上の願いを承諾した。彼女はひどく嬉しそうな顔をしてわずかに阿高との距離を詰める。
その様子にふと記憶に新しい笑顔が閃いた。
「……昼間は悪かった」
唐突に紡ぎ出された謝罪の声に苑上は不思議そうな顔をする。それもそうだろう、脈絡が無さ過ぎる。阿高は頭をかき、どう説明したものかと考え込んだ。
「一体何のことなの、阿高」
「昼間」
ふと苑上が洩らした彼らの故郷たる坂東についての質問が事の発端だった。
初めはなんと説明したものかと考えながら答えていた阿高たちだったが、思い出話が懐かしく、いつの間にか大いに盛り上がりまるで坂東にいた頃のようにやり取りをしていたのだ。質問した当事者たる苑上をすっかり置き去りにして。
内輪で盛り上がる地元話、都人である彼女には途中からさっぱり分からなかったに違いない。ばつが悪くなって苑上を見たが、当の本人は全く気にする様子なくとても楽しそうな笑顔を浮かべて三人のやり取りを聞いていたのだ。
阿高が悩みながらそう口にすると、苑上は予想外の事を聞いたような顔をする。
「そのこと?」
一瞬の間の後、苑上は口元を隠して可笑しそうに笑い始めた。突然の反応に虚を突かれ、阿高は唖然として彼女を見つめる。
「謝ることなどありません。わたくし、あなたたち三人の話がとても面白かったのよ」
「……何の話をしているかわからなかっただろう」
「それはわたくしが阿高たちの故郷を知らないからよ。三人の話すことが武蔵に着いたらわかるのだと思うと、楽しくて仕方がないの。だから」
苑上は言葉を切るとあらためて阿高に向き直った。どうしたのかと戸惑う阿高に彼女は穏やかに微笑んで言った。それは阿高にとって何よりも嬉しい言葉だった。
「わたくしにもっとたくさん武蔵のことを教えて」
これからともに行く彼女に、彼の故郷のことをたくさん伝えよう。
武蔵に着くまで、そして武蔵についた後もずっと―――。
END
初出 2007.6.27