それは、窓から少し夏の空気を含む風が入り込むある日のこと。
何だかひどく疲れていることは自覚していた。やらなければならないことは多すぎて、けれど時間は足りなくて。予定通りに進まないと焦ってしまい、処理されない書類を睨みつけることも度々だ。さすがに城の住人やまして弟にきつく当たるなんてことはなかったのだけれども。
「リース、少し背負いすぎなんじゃないのか?」
ふと聞こえた声に驚いて振り返ると、そこには濃茶色の髪の青年が立っていた。紺の瞳が呆れたようにこちらを見つめている。
ここは、ローラント。彼がいるのはフォルセナのはずだ。それでも、彼がここにいることを何の疑問にも思わなかった。
「デュラン」
呼びかけると、デュランはわずかに俯いてため息をついた。
「リースが責任感強いことは知ってる。けど、なんて様だよ。そのうち倒れるぞ」
言われた言葉にぎくりとする。確かに今朝鏡を見たときも、青白いとまでは行かないが元気とは到底言えない顔色だった。
「あの時も言っただろう、誰もリースひとりに任せようとは思ってないって。少し休んで、他の連中にも相談してみろよ」
むしろ頼られて喜ぶと思うぞ。
投げかけられた言葉に素直に頷くと、デュランは少しつり上がった眉を緩めて優しく笑う。
ああ、久しぶりに見る笑顔だな、と静かに思った。
ふっと気がつくと、リースは頬杖をついて机の書類を見つめていた。右手にペンを持ったままだ。
どうやら書類の処理中に見事に居眠りをしていたらしい。
ペンからインクの雫がたれそうになっていることに気付き慌ててインク壷に戻す。インクの量を調節して書類に滑らせようとして、リースは思いだしたようにペンを置いた。
脳裏に先ほどの声がしっかり残っている。
『少し休んで、他の連中に相談してみろよ』
居眠りまでするということは、彼の言った通りなのだと思う。
腕を伸ばして筋肉をほぐすと、リースは椅子から立ち上がった。
「久しぶりに、エリオットと紅茶でも飲もうかしら」
その前にお茶請けも作らなくちゃ―――どのお菓子を作ろうかと考えて、そんなことも久しくしていないということに気付く。可笑しくなって、リースは一人くすくすと笑った。
「本当、デュランの言った通りね。少し休まなくちゃ」
今度会ったときに、夢でも逢ったことを告げたら、どんな顔をするだろうか。きっと「勝手に見るな」とかなんとかいって、照れて顔を逸らしそうな気がする。十中八九間違いない。
リースは風を取り入れるために開け放したままの窓の外を見た。
この青空は、フォルセナまで続いている。
本物の彼に逢いたいな、と思った。
END
初出2006.6.26
再掲2007.4.6