悠久の絆

第6章




 深緑に包まれた森の中は空気の動きがなく、湿気を含んでどんよりしている。
 エルティスの提案で、二人は館から離れ周囲に広がる森へと踏み込んでいた。
 ルシータやエルティスの彷徨っていた所と比べると人の手が入っている様子で、植樹されたわけではないのだろうが木々の間にはずいぶんと隙間がある。馬も通れるような開けた場所があるのは、もしかすると遠乗りでもするようにしつらえてあるのかもしれない。
 視界が開けているせいで残念ながら身を隠すことはできないし、剣を振るう邪魔にもならない。だが、こちらの方が精霊の力も<アレクルーサ>の力も振るいやすいのだ。周囲がすべてエルティスの助けになる。

 仲間の声を聞きつけた兵士たちの姿が見えた。一人昏倒させたとはいえ、あのとき囲まれた人数を考えれば、軽く片手を超えている。複数を一度に相手にしないようにするしかないだろう。
 ただ、相手を動けなくさえすればいい。
「エル、大丈夫か?」
 前に立って兵士たちの様子を伺っていたデュエールが振り返った。彼は草木のない少し開けた場所で剣を構えている。
 対してエルティスはいくらか身を隠すように茂みの中に突っ立っていた。周囲を見回して木々の様子を確かめるとエルティスは笑顔で頷いてみせる。
 葉を茂らす若木も、幹太い老木に絡みつく蔓草も、小さな実をつける灌木も、そこここで色とりどりに咲く花も、すべてエルティスの手駒になり得るのだ。
 だからこそ、ここを選んだ。
「うん、ここならいくらでも自由にできるから」
 その言葉で、会話が途切れる。兵士たちが取り囲むように広がって侵入してきたのだ。デュエールはもうこちらを見ていない。

「デュー、風に気をつけてね!」
 エルティスは銀髪を翻すと、勢いよく風を巻き起こした。デュエールの守護についていた風霊を始め、呼び込んだ精霊たちを共鳴させて、森の中に風を吹かせる。辺りの木々が葉を鳴らして揺らめいた。
 強烈な向かい風なら、兵士たちを足止めできるかもしれない。最初の兵士にそうしたように、エルティスは兵士たちに向かって思い切り魔力のこもった風を叩きつけた。
「わぁっ!」
 よほどの不意打ちになったのか、一人だけ風に煽られてひっくり返る。さすがに他に倒れる者はいなかったが、いくらか抵抗にはなっているのだろう。これなら数人に囲まれるという事態は避けられるはずだ。

 風の影響を受けずにいるデュエールは一番近くにいた兵士と切り結んでいる。
 エルティスは風霊にこのまま風を吹かせるように頼むと、茂みから飛び出した。さっきのように吹き飛ばして壁にぶつけるわけにはいかないから、何か他の方法をとらなければならない。
 どうしようかと考えながらデュエールの傍に駆け寄ろうとして、飛んできたのは幼馴染みの声だった。エルティスは思わず立ち止まってしまう。
「こっちはいいから、別の方を頼む!」
 彼は全くこちらを見ていないが、<アレクルーサ>のことがわかるという<器>ならエルティスの動きなど容易にわかるのだろう。
 剣を合わせたまま押し合っていたデュエールが、その剣を滑らすと同時に兵士の鳩尾を蹴り上げた。ふら付く相手の首筋にそのまま手刀を下ろす。どこで身につけたのか、流れるような動きだった。
 崩れ落ちる兵士が取り落とした剣を遠くへ蹴り飛ばすと、デュエールは風と格闘している別の兵士のところへ駆けていく。

 エルティスは幼馴染みの俊敏な動きに呆気にとられていたが、我に返って慌てて反対方向へと走り出した。この風の恩恵の中では、デュエール一人でも兵士を何とかできるだろう。ならば、彼女がすべきことは。
 自由にならない強風の中、それでもこちらへ向かってくる兵士を見つけ、エルティスは地面すれすれに風を滑らせた。
 ただでさえ不安定な状態で足元を掬われたら転ぶしかない。エルティスの期待通り相手は大きくよろめいた。エルティスはすかさず辺りの草に力を与える。
(お願い、あの兵士を捕まえて)
 エルティスの命令を受けた蔓草が幹から勢いよくその身体を伸ばし、瞬く間に兵士の手足を絡め取って動きを封じてしまう。突然草に襲われた男は、情けない悲鳴を上げて転がった。
 蔓が兵士の落とした武器も絡めとったところでエルティスは更なる相手を探して周囲を見渡す。

 さすがに仲間がいきなり植物に襲われたとなると、尻込みするらしい。
 蒼白な顔でこちらを見る兵士の一人に、エルティスは意地悪く笑ってみせた。戦意をなくしてくれるのはありがたいけれど、逃げて体勢を整えられても困るのだ。同じ逃げるなら、そのままこの場からいなくなってくれればいいのだけれど。
 エルティスは声に出して木々に呼びかけた。
「その人たちを捕まえて!」
 ルシータの神官たちでは不可能な、<アレクルーサ>だからできること。その場から大きく動くはずのない木々に動きを与えるのは、世界の理を歪めないとできないことだ。
 まるで手のように枝がしなり、風に煽られて、あるいは恐怖で動けない兵士たちの身体へ伸びていく。緩慢なその動きをかろうじて避けても、その何倍も素早く襲ってくる蔦に絡みとられ、兵士たちは次々と囚われていった。
 あっという間にエルティスの視界に見える兵士たちはすべて動きを封じられた。懸命に抵抗を続ける兵士のうちの一人は鬱陶しいとばかりに宙吊りにされてしまう。

 倒れている兵士も捕まえておいた方がいい。エルティスが振り返ると、デュエールが三人目の兵士を転倒させたところだった。
 一息ついたデュエールと目が合う。辺りに展開する惨状にデュエールはあからさまに苦笑した。
「さすがはエルだな」
「なんか引っかかる言い方」
「見たことないよ、こんな光景」
 笑う幼馴染みを少し無視して、エルティスは倒れている残りの兵士も捕まえておくように木々にお願いする。承諾の反応があって、すぐさま伸びてきた枝や蔓が男たちをがんじがらめにする。

 動くものがいなくなったところで、エルティスは風を収めた。騒がしかった森に静寂が戻る。
<アレクルーサ>の最大の使命を果たしたときと比べればなんのこともないが、これだけ魔力を使うのは久しぶりだ。エルティスは軽く息を吐いた。
 デュエールが心配そうな様子で傍に寄ってくる。
「平気か?」
「ん、久しぶりにたくさん力を使ったから」
 大丈夫、とエルティスが返事をすると、デュエールはそっと頭を撫でてくれた。それだけで、元気が出てくるような気がする。
「これで全員だよね。もうあとはあの王子だけだよね」
 エルティスが言うと、デュエールは兵士の数を数える。
「たぶんな。追いかけてきたのもこのくらいの人数だったと思うし」
 ならば、あとはあの王子一人。どうしたらいいか。

 エルティスはデュエールの顔を見上げる。
「……これで、あの人諦めると思う?」
「どうかな。エルのことを、なんとしてでも手に入れたいんじゃないか。自分で剣をとるくらいのことはするかもしれない」
 言われて、エルティスは王子が腰に剣をはいていたことを思い出した。
「やっぱり、兵士たちみたいに捕まえるしかないのかな」
「できればいいけどな」
 デュエールにあっさりと答えられ、エルティスは眉をしかめて幼馴染みを睨みつける。そのままどうしたものかと宙を見つめたところで、エルティスはあるものに気がついた。

 目の前の灌木に白い花が咲いている。不思議な甘い香りを放つそれに、エルティスは心当たりがあった。ずっと昔幼い頃に、犬神にさまざまな花の力をデュエールと一緒に教えられたことがある。
「ね、これ使ったら、何とかなるかも」
 花を示して、エルティスは自分が思いついた作戦をデュエールに話した。訝しげに聞いていたデュエールも話が進むうちに賛同してくれる。同意をもらったエルティスは早速しゃがみこむと持っていた短剣で白い花を数本切り取った。
 作戦といっても先ほどまでやっていたこととあまり変わりない。だが、命令されただけの兵士と違って、あの王子はエルティスを手に入れようとする執念がある。彼らのように簡単には行かないはずだ。

「……お出ましだな」
 低く響いたデュエールの声に、エルティスは立ち上がった。
 森の外。館の方からゆっくり歩いてくるのは、紛れもなく最後の相手である王子だった。


初出 2007.6.2


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