悠久の絆

第6章




 王女だという二人の申し出を受けたあとは、少し慌しかった。

 まず、そこかしこに倒れている兵士たちと当の王子をそのままにしておくわけにもいかない。そのうちの数人を選ぶと、エルティスが彼らを縛り上げている蔦を解かせ、目覚めたところを王女たちが命令を与えて残りの人々を館へと運ばせる。
 目が覚めては一番厄介と思われた王子については、収容したベッドの周囲にエルティスが魔法で効果を強めた白い花を置いてしばらく眠っているように細工までする羽目になった。

 兵士たちにその部屋を見張らせてようやく平穏を取り戻したところで、デュエールとエルティスは王女二人に招かれて、館の一室に落ち着いている。
 王女が手ずからお茶を用意して一息ついたところで、二人はあらためてエルティスたちに名乗った。
 瓜二つの顔立ちをした二人の王女はその通り双子で、姉をミファエル、妹をノーベラという。
 エルティスも、その名くらいは知っている。ルシータから出ることができなかった彼女には縁遠いものだったが、顔は知らずとも王族の名前くらいは聞かされていた。
 年の頃も、エルティスとさほど変わらないだろう。

 第一王女ミファエルは、デュエールの方を示して言った。
「そちらの方から、これから先魔法は失われていくだけだということを聞きました。もう少し詳しく聞かせていただけませんか」
 エルティスは少し躊躇う。魔法のことを話すには、デュエールには難しい。当然彼女が話さなければならないだろう。それでも、巫女姫でもない一人の娘の話を信用してもらえるだろうか。ファレーナにとっては不利な話であれば、なおさら。
「私たちは精霊の姿を見ることができます。話すことはできませんが、それでもあなた方が精霊に重要視されていることはわかります。きっと、あなたの語ることは正しいことなのでしょう」
 迷っているエルティスの様子を見抜いたのだろう、ミファエルの隣に座る第二王女ノーベラが柔らかに言った。最後には悪戯めいた口調で付け加える。
「それに、曲がったことを伝えようとすれば、精霊たちが黙っていないでしょう?」
 その言葉になんとなく気持ちが軽くなって、エルティスはゆっくりと口を開いた。


 世界は百年前からゆっくりと魔法という力を失っている。それは神々の決定であり、覆ることはない。
 魔法の力が少しずつ消えていくことで、世界はやがて魔法を使わずに繁栄するようになるはずだった。
 だが、魔法の力をとどめておく結界があったためにルシータにのみ魔法は残り、そのためにルシータの民が唯一魔法を使える存在となった。
 神々はルシータから魔法を失わせるために神の意思を受ける存在を地上に下ろした。
 それが<アレクルーサ>であるエルティスだ。
 そして神々の望むように使命は果たされ、結界は破壊された。ルシータに集まっていた魔力は世界中へ広がりやがて薄れていく。
 今いる神官たちは今まで通り魔法を使うことができるだろう。けれど、濃密な魔力が失われたルシータにこれから先同じような力を持つ者は決して生まれない。
 そして、神々から直接の恩恵を受けず自らの足で動き出した世界に、神託が与えられることはないのだ。神々の声を聞きその意思を伝える巫女姫の存在は無用になる。
 たとえ<アレクルーサ>を血脈に取り込もうとしたところで、その力の意味はいずれなくなる。何より結界を破壊するための力だから、その使命を果たした以上次世代へ受け継がれることはないだろう。


 少し長くなったエルティスの話を王女二人は真剣に聞き、終わったときには静かにため息をついた。
「私たちの考えは間違っていないんだわ。私たちの魔法の素質が弱いのも世界の道理に適っている。母上や神官たちが望むような強い力を持つ者はどうあっても生まれないということなのね」
「魔法に頼った政では、いつかこの国は魔法とともに滅びるわ。父上が以前危惧していた通りなのよ」

 二人はしばらく話し込むと、頷きあう。そして、エルティスに向き直った。
「ありがとうございます。あなたのおかげで大事なことを知ることが出来ました。母上や神官たちが隠そうとしていたのはこのことなのね」
 そして、兄上も一部だけを聞いて、あなたを手に入れようとしたのよ。きっと強大な魔力を持つ、というところだけを聞いたのね。
 ノーベラはそう笑うと、エルティスとデュエールにお茶を勧めてきた。ひたすら喋り続け喉が渇いていたエルティスはありがたくそれをいただく。彼女にならってデュエールも遅れてお茶を手にした。

「今の話を、父上―――陛下にも報告しなければならないわね」
 ミファエルが呟く。その瞳がエルティスの視線とぶつかった。
「できれば、あなた方にも来ていただけないかしら。私たちだけでは納得されないかもしれない」
「え……でも」
 それはつまり、エルティスたちに国王の御前に上がれということだ。果たして納得できるような話が出来るものだろうか。
 エルティスの顔色が変わったことに気づいたのだろう、ミファエルは宥めるように微笑む。
「大丈夫よ。陛下も私たちほどではないけれど、精霊の存在を感じることができます。もともと陛下は魔法の力の強さで王位継承が決まることに懐疑的な立場だから、今の話は受け入れてもらえると思うの」
 この国の未来のために力を貸して欲しいと頭を下げられては、エルティスも拒めなかった。ルシータが世界を欺き続けることを避けられるなら、手伝った方がいいかもしれないと思う。
 数刻の後、エルティスとデュエールは生涯ただ一度、王宮の謁見の間に入るという経験をすることになったのだった。




 外の風が気持ちいい。どこもかしこもルシータの神殿以上にきらびやかな空間から一歩出て、エルティスは思い切り伸びをした。隣にいた幼馴染みを見上げる。
「……なんか、疲れたね」
「まさか、国王陛下の前に参上する羽目になるなんてな」
「しかも、魔法がなくなったことを奏上したんだもんね」
 エルティスが肩を落として呟くと、隣からは苦笑が返ってきた。

 何の障害もなく王宮に通され国王と謁見したときには、エルティスは驚くしかなかったのだ。しかも王女が保証したように、王は何も疑うことなくエルティスの話を聞いてくれた。
 途中で入ってきた大臣だという中年の男たちに詰め寄られたときには、よくも逃げ出さなかったものだと自分でも思う。ずっとデュエールが傍にいてくれたからだとはいえ、あの剣幕はちょっと怖かった。
 エルティスが魔法を使って見せることで彼らを何とか沈黙させ、いくつかの質問に答えた後でようやく二人は解放されたのだった。
 謁見を終える頃、王は静かにこう宣言した。魔法が失われるならば、この魔力持つ血脈の尊さはすでに無意味である、今話し合っている王位継承権を見直し、より治国に相応しい王位継承をすすめる―――と。
 あの場に王妃や神官といったルシータの関係者はいなかった。もしかしたら、これから先色々揉めるのかもしれない。

 城の出口まで王女二人に案内され、見送られながらようやく外に出たところだ。あとは城下街へと続く門へと真っ直ぐ歩いていけばいい。
 エルティスは最後に王女たちに言われた言葉を思い返していた。
『とても感謝しているわ。あなたたちにはひどい思いをさせてしまったけれど、これでこの国―――王家も変わっていくから』
 ルシータから魔法が失われるということは、想像していたよりずっと大きなことなのだとエルティスはようやく実感する。でもきっと、隠蔽され続けて取り返しのつかないことになるよりはずっといいのだろう。
 もしかしたら、エルティスはさらにルシータに憎まれることになったのかもしれないけれど。

「けど、ルシータって結構影響力が強かったんだな」 
 デュエールの呟きにエルティスは驚いて隣を見上げる。見つめられた幼馴染みは肩をすくめた。
「結界がなくなったってだけなのに―――俺には本当に何が変わったのかもわからない」
「そうだよね。あたしも決められたことをしただけなんだけど」
 持ち越された約束の通りに。けれどその結果は魔力を感じられるものにしかわからない変化だ。魔法を知らず必要としないものにとっては何の不利益もない。

 共有できることはこれだけ。<アレクルーサ>と<器>に関わるすべては終わったのだ。使命は果たされ、それにまつわるしがらみも、先ほど解決を見た。
 王子の独断で牢に入れられたデュエールに正式な裁きは行われていないという。故に犯罪者などではなく、これから先追われることはない。エルティスが追われることも、王位継承の有り様が変わるならばないだろう。二人が抱えていた不安はなくなったのだ。
 門のところにはデュエールの馬と、王宮に運び込まれていた彼の荷物とが用意されている。それを受け取り王宮を出れば、あとは二人の自由だった。

「これからどうするの?」
 ゆっくり歩きながら、エルティスはデュエールに問いかける。
「―――犬神と、父さんと、あとはリベルさんたちに報告しなくちゃいけないんだ。ちゃんとエルに逢えたって」
 デュエールはエルティスがよく知っている大好きな人たちの名をあげた。
 そうだ、その人たちにはまた会いたい。何も話せないままルシータを離れてどれだけ経ったのだろう。
「じゃあ、ルシータには行かなきゃいけないんだね」
「そうだな、あとはちょっと王都で寄りたいところがあるんだけど」
「どこ?」
「俺がお世話になった宿。王都に来たら顔を見せろって言われてるんだ」
「折角来たんだからあたしも色々見てみたい」
 便乗して言ってみると、デュエールに楽しそうに笑われエルティスは思わず膨れ面になった。
「いいでしょ、だってルシータ以外見たことないもの!」
「わかったわかった。別に駄目だなんて言ってないだろ」
 ちゃんと案内する、と約束をもらってエルティスはようやく落ち着く。

 門まであと少し、というところで何かを思い出したようにデュエールが立ち止まった。エルティスもならってその横に並ぶ。
「どうしたの」
「そういえば、まず何よりも先にしないといけないことがあった」
 何のことかと確かめる前に、デュエールの両手がエルティスの髪を包み込むように触れた。波打つ髪を梳かれて、何かが流れ落ちていくような感覚がする。
 あ、と思ったときにはエルティスの髪は癖を失いもともとの亜麻色になっていた。おそらくは銀に煌めいていた瞳も生まれついての水色に戻っているはず。
<アレクルーサ>であることを示すためにずっとその姿のままでいたのだった。
「全部終わったらもとに戻すって言ってたから」
「……うん、そうだね」
 笑顔のデュエールに言われて、エルティスも笑みを返す。

 ようやく、全部終わったのだ。


初出 2007.6.2


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