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今まで積み重ねてきた約束を、また今日から結んでいこう。
もう、離れ離れになることはないはずだから。
「うーん……」
右手にはさみを持ったまま、エルティスは腕を組んでデュエールの後頭部を睨みつけた。
エルティスと別れてから伸ばされたままの髪をばっさりと切ったものだから、彼女の足元に敷いた布の上には半端でない量の髪が散乱している。
自分の記憶の中の幼馴染みの姿と照合する。そんなに今までと違う髪形ではない、と思う。
「どうした?」
後ろから唸り声が聞こえるせいだろう、デュエールがちらりと後ろを振り返った。エルティスを一瞥するとまたすぐに視線を前に戻す。
「なんだか短く切りすぎたかな、と思って」
つい先ほどまでは束ねるほどの髪の長さだったから、すっかり印象が変わって余計違和感を感じるのかもしれない。
エルティスが呟くと、デュエールは他人事のように笑って一蹴した。
「また伸びるさ。それに、切ったものは元に戻らないし」
「そんなこと言って、もしあたしが変なところから切り落としてたりしたらどうするつもり?」
意地悪く言ってみるが、デュエールは堪えた様子がない。
「それはないだろ、エルの腕前で」
目一杯の信頼が込められた言葉にエルティスは沈黙した。
椅子に腰掛けすべてを任せているデュエールをエルティスはひと眺めする。そこまで信じてもらえるのならやってやろうじゃないかとばかりに、ぐるりと一周して見栄えを確認した。
(うん、格好いいよね)
我ながら上出来だと思うし、身贔屓だとしても人目を惹く容姿になっていると思う。納得がいったところで、エルティスは肩から力を抜いた。
「じゃあ、これでいいかな」
櫛を通して切った髪を払い落とすと、エルティスは鏡を見せてデュエールに確認する。最後に髪を切ったときより少し伸び加減の、でも再会したときよりずっと短くなった幼馴染みがそこに映っていた。
「どう?」
「ああ、いいと思う」
笑顔を添えて返され、エルティスはデュエールの首と肩周りに巻いていた髪避けの布をそっとはずす。
「ありがとう」
「どういたしまして」
かしこまって言われ、エルティスはなんとなく照れくさくなった。
こうしたやり取りをするのは今に始まったことではないのに、それでも今までとは全く違う気がするのは何故なのだろう。あの騒動で昔の思い出ごと失くしたと思っていた絆をとり戻して、エルティスたちはここにいるのだ。
顔を見合わせて笑うと、二人がかりで片付けに取り掛かる。
用意しておいた箒で床に散った髪を集めていると、扉が軽い音を立てて鳴った。
「もう入っても大丈夫かい?」
待ちきれないといわんばかりの中年女性の声がして、デュエールが応じて扉を開ける。そこに立っているのは、二人が昨日からお世話になっている<風見鶏亭>の女将だった。
出迎えたデュエールの変貌振りに彼女はまじまじと彼を見つめる。エルティスからは背中しか見えないけれど、見世物のような扱いに幼馴染みは苦笑しているに違いない。
「ずいぶん見違えたねぇ」
感心した様子で頷くと、女将はエルティスを見た。大した腕前じゃないかと褒められて悪い気はしない。エルティスは笑顔で応じる。
女将の視線が、エルティスの足元に集められた茶色の髪を見つめた。
「あの頃よりもずっと長くなって―――よくもまあこんなに伸ばしたもんだ。ようやく切れてよかったじゃないか」
快活な笑い声を上げて、女将がデュエールに目を向ける。その視線には含みがあって、髪を切るということの言外の意味すら見透かしているようだった。続けて何かを言おうとした女将を、デュエールが焦って遮る。
エルティスはちょっとだけむっとした。彼女が言わんとしていたのはおそらくエルティスの知らない間のデュエールのことだろう。幼馴染みが顔色を変えるほど聞かれたくない何か。無性に聞きたくなるではないか。
女将はさらに楽しそうに笑うと、デュエールの胸元をひと叩きして部屋を出て行った。デュエールは珍しく不機嫌そうに眉をしかめたままだ。
「何の話をしようとしてたの?」
「……別になんでもない」
エルティスが尋ねてみるとデュエールは視線を逸らして誤魔化した。本当は訊きたかったけれど、その頬がわずかに赤く見えたから、エルティスは追及しないでおくことにした。
さらに賑やかな客が部屋を訪れたのは、それから数分もしない頃だった。
「おっ、ずいぶん短くなったなぁ」
陽気に扉をくぐってきた赤毛の青年はルオン・ハーディという名前で、旅の間のデュエールの剣の師匠だったのだという。
昨日エルティスたちがこの宿に辿り着いたとき、出かけるところだったらしくほんのわずか顔を合わせて挨拶をしただけなのだが、面白そうなものを見るような視線を向けられたことだけは印象に残っている。
今朝もすでに旧知の間柄のように話しかけられた。少し驚いたが、不思議なことに不快感はない。
エルティスがその理由を聞いてみると青年からはあっけらかんとした言葉が返ってきた。
『ああ、一緒にいた間けっこう聞かされたから、それで知ってる気になってるんだな。悪い』
一体どんな話を吹聴されているのやら、奇妙な気分でその内容を尋ねようとしたときに、これまたデュエールに邪魔されたのだ。本当に、どんな人間だと紹介されているのやら。
エルティスがふとデュエールに向けると、まずいところに来たとばかりにしかめ面をしている。ルオンはその反応を気にした様子もなくデュエールの髪型を検分した。
「床屋で修行したことでもあるのかい?」
「ううん。見よう見まねで切ってただけ」
「なかなか上手いんじゃないか、これなら本職にも劣らないな」
「本当?」
高評価を得て、エルティスの気持ちも弾む。この能力は幼馴染みに対してしか発揮したことはないのだけれど、自信を持ってもいいかもしれない。
ルオンはデュエールにちらりと視線を向けると、意地悪い笑みを浮かべる。苦々しい表情のままの幼馴染みは、じろりと青年をにらみ返した。
「何だよ」
「いやいや、なるほど、この子を探してたんだなと思ってな」
約束って、これなんだろ? ルオンは楽しそうに言った。
「昨日の今日だもんな。この子が専属ってことなんだろ」
「……っ!」
顔を赤らめて沈黙したデュエールの肩を叩いて、ルオンはエルティスに笑顔を向けてくる。
「エルティス、って言ったよな? こいつは本当に必死になってあんたのこと探してたんだ。俺が一緒だった時間は短いけど、それだけは伝わってきてたぜ」
また逢えて良かったよな。
後でゆっくり話を聞かせてくれと言い置いて、ルオンは騒々しい風のように去っていった。昨日まで何の縁もなかった人なのに、デュエールと再会できたことを心から喜んでくれていることはわかる。
デュエールは困ったように顔を隠していた。本当に今日は幼馴染みの珍しい姿ばかり見る日だ。
「デュー、今のは本当のこと?」
「……本当だよ。ずっと探してた」
エルティスはデュエールに問いかける。重大なことを他人の口から暴露されてしまったらしい彼はひどくばつの悪そうな顔をして答えた。
嘘ではないとわかる。あの木の上で見せてくれた態度と言葉がそれを証明してくれる。
「ごめんね」
「エルが謝ることじゃない。俺も、あのとき後回しにしなかったらよかったんだ。……今も充分後回しになった気がするけど」
「後回し?」
エルティスが反芻すると、デュエールはゆっくり頷いた。すでにその顔に先ほどまでの様子は片鱗もない。
「エルはあのとき言ってくれたろう、好きだって」
それは、あの地下牢の中で。二度と逢えないと思って、それでも何があっても変わらないと思えたからこそ言った気持ち。
今度はエルティスが顔を赤くする番だった。
「あ、あれは……!」
「俺は嬉しかったよ。だから、ここを出ないと絶対に駄目だと思ったんだ」
エルティスは握り締めたままの手に力を込めた。デュエールの瞳が真っ直ぐエルティスを見下ろしている。あのとき見つめられたのと全く同じ煌めきだった。
「俺も、エルのことが好きだ。ずっと一緒にいたい」
耳を打った言葉が、そのまま全身を貫くような気さえする。
デュエールの気持ちは受け取ったつもりだった。再会したときの声や、護ってくれたときの言葉も、その態度も、すべてがそう語っていたから。
でも、たったひとつ、この言葉が他の何よりも嬉しくて、エルティスは体中が震えそうだった。
ゆっくり一呼吸分の時間を置いて、デュエールが問いかけてくる。
「……返事は?」
「二度と離れないって、あのとき言ってたでしょ。あたしはずっとそのつもりだった」
エルティスが手を伸ばすと、身体ごと優しく受け止められる。背中に回された腕が温かくて心地よくて、何よりも嬉しかった。
―――自分が手に何を持っているのか今更に気づいて、エルティスは可笑しくなって笑い出す。
「でも、この状況で話すことじゃないよね。雰囲気ぶち壊し」
エルティスが握り締めているのは箒で、床には集められた髪の山が未だに鎮座しているのだ。デュエールも理解したらしく、苦笑するのが触れた身体から伝わってくる。
「確かに」
「早く片付けて、お茶にしようよ」
「そうだな」
自分たちの変さ加減にひとしきり笑って、二人は残りの片付けを始めた。
初出 2007.6.2