悠久の絆

第7章




 エルティスはそれから数日デュエールとともに<風見鶏亭>に滞在した。
 約束通りデュエールに王都を案内してもらったり、女将の手伝いをしながらデュエールが住んでいたときの様子を教えてもらったり。
 監視の目を盗んでルオンに幼馴染みが自分のことをどんな風に話していたかを聞き出したときには、照れ隠しに怒ったデュエールに危うく無視されそうになったりもした。
 そんなこんなであっという間に時間が過ぎて―――。



 エルティスが入れた紅茶を飲みながら、デュエールは満足そうな表情だ。が、突然何かを思い出したような顔に変わる。 
「そういえば、騒ぎ続きですっかり忘れてた」
「何?」 
 ファレーナ王国の地理を講釈されていたエルティスは幼馴染みの声に顔を上げた。

 エルティスとデュエールが向かい合うテーブルにはファレーナ王国全土の地図が広げられている。
 今はどの道を通って行くかという話をしていたところだ。まずは姉夫婦、そして犬神やジュノンに自分たちの無事を知らせなければならない。目的地はレンソルとルシータ。
 北の街道と呼ばれる道を馬で行けば、十数日でレンソルに辿り着くという説明を受けていたところだった。

 エルティスの問いに答えずに、デュエールは席を立ち自分の荷物を漁り出す。しばらくして、何やら封筒らしきものを引っ張り出すとテーブルに戻ってきた。
 目の前に差し出され、エルティスは首を捻る。
「これは?」
「リベルさんからの手紙。ずっと、預かってたんだ」
 外回りをしていたデュエールが、レンソルにいた姉リベルから手紙をこっそり預かることはそんなに珍しいことではない。ただ、問題は。
「……いつの?」
「俺がルシータに戻ってきた―――あの騒ぎのとき。……もう半年以上前だな、確実に」
 エルティスが<アレクルーサ>となる発端の騒動が起きたのが、確か夏の終わり頃。季節は今、夏になろうかという頃だ。下手をすれば、一年前近い。
 渡された封筒には確かにリベル・ファンのサインがある。エルティスは慌てて封を開け、中から手紙を取り出した。 
 二枚ほどの便箋には、リベルのレンソルでの様子が詳細に綴られていた。

 ぼろ小屋ではあるが、二人の住む家をなんとか得たこと、悪戦苦闘しながら畑仕事などを教えてもらっていること。たまに喧嘩はするけど二人で仲良くやっていること―――。
 書かれた文章からその光景がありありと想像できて、エルティスは口元をほころばせる。
「元気そうね、姉さん。……え?」
 最後に追伸として書かれた文章に、エルティスは目を丸くした。
『もう少しで、私お母さんになるのよ。あと四ヶ月位したら生まれる予定です。エルももうすぐ叔母さんになっちゃうわね』

「ねえ……、これ、いつの手紙って言ったっけ?」
「半年以上、前」
「じゃあ……っ、もう生まれちゃってるじゃないっ!?」
 確実に生まれている。それどころかだいぶ大きくなっていやしないか。
 一瞬便箋を握りつぶしそうなほど力を込めて、エルティスは叫んだ。そのあと手から落ちそうになった便箋を素早く抜き取って、デュエールも手紙を見た。
 エルティスの叫びの理由を納得したらしい。デュエールも驚いた様子だった。
「へえ、ドラークさんとリベルさん、子供が産まれてるんだ。そういえば、お腹が大きかったな」
「うう、そろそろ這って歩けるようになってるかな。見たかった……」
「仕方ないさ。あんな騒ぎがあって知りようがなかったんだから」
 エルティスが悔しげに唸るとデュエールはあっさりといなした。そもそもルシータにいたままなら、会うことも叶わなかったはずだ。デュエール越しに『見る』ことはできたのかもしれないけれど。

「……ところで、『叔母さん』になってるんだな、もう」
 便箋の最後の部分を見ながら、デュエールは可笑しそうに笑っている。思わず立ち上がって、エルティスはデュエールを指差した。
「そっちはなりたくたって叔父さんになれないでしょう!?」
 デュエールは一人っ子。兄弟はいないから、叔父にはなりえない。勝ち誇ったようなエルティスに対し、デュエールは全く動じた様子がなかった。
「義理の、でいいなら叔父さんにはなれると思うけど?」
「……?」
 何を言ってるのか一瞬わからず、指差したその姿勢のままエルティスは固まる。デュエールはにこやかな表情のままさらに切り札を投げつけてきた。 
「なんなら、その子の従兄弟、つくることもできるよな」
「……、!」
 言われた意味を理解して、エルティスは耳まで真っ赤にして口を歪ませた。まさか、この幼馴染みにそんなことを言われるとは思いもしなかったのだ。

 顔を伏せて身体を振るわせるデュエールを目の前にしてエルティスはようやく我に返り、ふてくされた表情で再び椅子に腰を下ろした。まだ頬が熱いことが自分でも嫌になるほどわかる。
「デューがそんなこと言うとは思わなかった」
 正直に言うと、デュエールは未だ笑ったままこちらを見た。
「あのときの仕返し。でも、今のは過剰反応し過ぎ」
「……」
 エルティスは黙ってデュエールを睨みつける。幼馴染みはその視線を受けて、目元を拭いながら謝罪の言葉を言った。
 あのとき、というのはたぶんエルティスがデュエールの目を盗んでルオンに話を聞いていたことだろう。よほど聞かれたくなかったらしい。
(ずるいよ)
 からかわれるのは嫌だけど、からかうのはいいなんて。
 エルティスは憮然とする。
 嫌というわけでも否定するつもりでもないけれど、本当に―――今の言葉は、心臓に悪い。
 


 気を取り直して、最初の目的地の確認に戻る。
「じゃあ、まずはリベルさんのところでいいんだな」
「うん、生まれた赤ちゃんも見たいし、姉さんのことも気になるし」
 それから山を登って、ルシータにいるジュノンと犬神に会う。そう道筋を選んだところでエルティスは突然あることを思い出した。
「―――あ」
「?」

 どうしよう、言ってみようか。
 エルティスの脳裏にあるのは、忘れられない鮮明な光景。
 しばらく逡巡して、エルティスはデュエールに提案した。
「あのね、行ってみたいところがあるんだけど……」
「どこ?」
 不思議そうな顔をしたデュエールに言われて、エルティスはその映像を思い描く。

 真っ直ぐ水平に区切られた、空と海。どこまでも高く淡い空の青と深い海の蒼が、視界の端まで雄大に広がっている光景。静かに耳を打った、不思議に懐かしい音律。
 あの日、エルティスが生まれて初めて見たもの。
 幼馴染みと『見た』、圧倒されるあの光景。

「海。あのときデューと一緒に『見た』海がもう一度見たいの」
 エルティスがそう言うと、デュエールは一瞬目を見開き、嬉しそうに笑った。
「了解。エルが言い出さなかったら、俺が言おうと思ってたんだ―――あの海を見に行こうって」
 地図の一点が示される。そこがデュエールの立ち寄ったという海岸。エルティスと共有したあの景色だ。一度東の端まで出なければならないから、当然北の街道を行くより遠回りになる。
「レンソルに着く頃には、赤ちゃんがもっと大きくなってるかもしれないけど」
「うん、でも最初に行こう。本物の海、見たいもの」
「わかった。それならこっちから回っていこう」
 顔をつき合わせてこれから進む道を話せることがとても幸せなことだと、エルティスは思った。


初出 2007.6.2


Index ←Back Next→
Page Top