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最近の凍治の第一の任務は、街の外へ出る神族へ同行し、護衛を務めることだ。
前回の戦の反省から、法術で手が回らない分の治療を薬で補うという方針になった。当然、生薬を手に入れる経路を何とかしなければならない。
いくらかは栽培できるものもあるということで、施薬院で試行され始めているものの、生薬の大半は野に出て手に入れなければならないのだ。植物、鉱物……医学書を見る限り、様々なものが生薬となっている。
これまでのように、勉強がてら採取に行く、というのではない。戦に向けて実用化するには、定量を供給できる方法を探す必要がある。
生薬採取の講師となるのは光玉と鈴麗の二人だけだ。どんな場所でそれぞれの生薬を手に入れられるか、そういった知識は未だ彼女らしか持っていない。しかも、この二人が知るのは鳳族たちの良く使う場所でもある。
鳳族の目をかいくぐり生薬を採取し、神族領の周辺で新たに生薬を採取できる場所を見つけ、かつ生薬の知識を持つ法術士たちを育てる――。
教える者が二人しかいないというのに、凍治たちはかなりの難問を突き付けられていた。次の戦がいつになるのかを考えれば、時間はあまりにも足りない。
――今日はいくらか余裕がある方だ、と言っていいだろう。護衛にあたる武官たちの緊張感もやや緩んでい
た。今までと違い、護衛しなければならない人数も少なく、また他部族の気配がないか襲撃がないか常に警戒することもない。
前回、前々回と異なり、今回の生薬採取地は神族領周辺が選ばれた。ある程度の生薬が確保されたということと、神族の動きを嗅ぎ付けた鳳族に襲撃されかけたためだ。
他部族に狙われる危険を負うより、可能ならば安全な領地内、あるいは周辺で生薬が採取できる方がいい。今回は生薬の分布を調査する目的が中心だ。光玉と鈴麗が主となってあたりの植生を調査する。
二人の講師が何人かの法術士を伴い、ひとつひとつ確認していくのを観察しながら、凍治は一人首をひねっていた。
周囲に対する警戒が必要ないからとはいえ、今日の平穏さが異様に感じる。見張りをする武官たちの緊張もずいぶんと緩んでいることが凍治の位置から見てもよくわかる。
何故だろうと思い、しばらく考えて、鈴麗が大人しいからだということに気付いた。
傍に人が付き、彼女の説明を常に聞いているからというのもあるのだろうが、鈴麗の動きが明らかに少ないのだ。
おそらく鈴麗は生薬を探す嗅覚が優れているのだろう、この広大な場所でたやすく目標を見つけ出すらしい。そしてそれを追い、また別のものを見つけるとすぐに場所を移動する。それを繰り返しているうちにすっかり最初にいたところから離れてしまう。
彼女のこの性質が厄介で、凍治含め複数の武官が目を光らせていてもいつの間にか消えているのだ。いつ何時鳳族に見つけられるかしれないというのに、どこか遠くへ行かれてはまずい。何度か指摘して彼女も自覚しているようなのだが、結局改善されない。
前々回など森に分け入ったものだから、探すのに本当に苦労した。
そんな彼女が不自然なほど動かない。むしろ今日のようなときこそ普段のあの能力が活かされる場面だと思うのだが。時間が経つごと調子が戻ってきたのか少し動き回るようになってきたが、それでも普段とは行動範囲が段違いなのだ。
彼女の行動の理由を尋ねることができたのは、作業が一段落した休憩時間のことだった。
本来護衛役の武官たちに休憩時間などないのだが、今回ばかりは別だ。もとより危険の少ない領地周辺。あたりに不穏な気配もない。
光玉がお茶を用意するということで、凍治たちもご相伴にあずかることになった。
軽食と薬草茶。お互いがあまり離れすぎない程度に、それぞれ適当なところに散らばって一服している。
そんな中、鈴麗は一人で座り込み、考え事でもしているのか真剣な顔で湯呑を見つめていた。なんとなく近寄りがたい雰囲気を放っている。
一人だけ違う様子に苦笑して、凍治は静かに鈴麗の傍に近付いた。そして彼女の後ろ姿にそっと声をかける。
「どうかしましたか?」
全く予想に違わず、鈴麗は思い切り肩を跳ね上げてから恐る恐るこちらを振り返った。そこにいるのが凍治と気付くと、あからさまに安堵した様子を見せる。こういう態度は見ていて面白い。
「今日は何か調子が悪いようですが?」
「調子ですか? いえ、特にどこも悪いところはないですが……」
あらためて凍治が尋ねると、鈴麗は思い当たらないというように首を捻る。
「いつもより行動の範囲が狭いように思ったもので」
そこで何かに思い当たったのだろう、彼女は痛いところを突かれたような表情をした。
「そ、それは、その……!」
真っ赤な顔で何かを叫びかけ、だがそれは言葉にならないうちに勢いを失う。やっぱり動きすぎなんですよねとつぶやいて、鈴麗はがっくり項垂れた。
すっかり落ち込んだ様子の鈴麗を宥め、話を聞き出してみると、実に他愛のないことだった。
生薬採取の度に姿をくらまし、武官たちの手を煩わせてしまうことを、彼女は彼女なりに反省していたらしい。前回も気を付けてはいたのだという。確かに前々回に比べれば、見つけ出すまでの時間は短かったのだが、あくまで比較しての話であって、凍治たちが彼女の不在に動揺することに変わりはない。
今まで程度の努力では全く足りないのだと思い知って、今回はとても厳しく自分の行動を抑えたらしい。
行方不明にならないよう、突っ走らないよう、あまりあちこちに注意を向けてしまわないよう、頑張っていた、と。故にあの不自然なまでの動かなさ、というわけだ。
凍治はふと疑問に思って首を捻った。確かに鈴麗に凍治たちは手を焼いている。しかし、それでも彼女に直接文句を言うような者はいないはずだ。
「誰かに注意でも受けましたか?」
「……」
返答はない。鈴麗は奇妙な顔つきのまま固まってしまっていた。とても訊かれたくない、とその表情が語っている。
鈴麗の行動は警備上最大の難問だが、生薬を採取するという目的のためには彼女のその能力は必要なものだ。彼女の動きに目を配るのが凍治たち武官の役割であって、彼女を抑えることはその役割ではない。
余計な戯言を言うような者では困るのであるが――。
鈴麗は言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
「……違うんです、注意じゃなくて、少しからかわれただけなんです。ただ……その」
「ただ?」
「か、海苓様が言ってたので、やっぱり、迷惑かけてるのかな……と」
その表情は困り切っているような、恥ずかしがっているような、どちらともとれるようなものだった。
『――相変わらずなんだな』
ふと凍治が思い出したのは、親友の声。
同じ武官とはいえ、凍治と海苓では任されている仕事が違うために、任務中に行き会うことはほとんどなくなっている。それでも姿を見かければ多少の話をすることもあった。互いの任務の遂行状況、周辺の状況、鳳族の動向等々……それぞれの状況が影響しあうため、こうした情報交換は職務上も意味がある。
相手が海苓であるせいもあると思うが、凍治の近況報告はどうも鈴麗の行動についてという話題になりやすかった。
『珍しいな、凍治が愚痴をこぼすのは』
いくら対策を練ってみてもうまくいかない、と凍治が話すと、海苓は本当に珍しいものを見たというような顔をして、そのあと鈴麗の武勇伝を聞いて笑うのだ。
海苓も彼女の生薬探しで発揮される奔放さは目の当たりにしているから、それを思い出していたに違いない。
その笑いに苦笑は混じっているけれど、とても好意的なものだと凍治から見ていてもわかる。少なくとも鈴麗が落ち込むほど厳しく注意することはないだろう。
「貴女を探すことも含めて、我々の仕事ですよ。今日は周囲の危険も少ないし、むしろ生薬はたくさん見つけてもらわなければなりませんから、多少は動き回ってもらった方が良いですね」
凍治が言うと、鈴麗は少しほっとしたようだった。重荷が取れたような、気が抜けたような様子だ。行動の抑制は彼女に相当な無理を強いるらしい。
「あれは疲れますか」
「はい……少し。今まで採取のときは放置されていて、探されたことがなかったので……」
それこそ我に返ったら置き去り寸前のこともあったのだという。それもどうかと思うが、たいていの採取地は鳳族の領地内周辺だったので治安も良かったためさほど命の危険もなかったようだ。鈴麗が心配されることに慣れていないのはそういう理由らしい。
ふと会話が途切れ、周囲のざわめきが凍治と鈴麗の間を流れ出す。凍治は湯呑に残っていた薬草茶を一息に飲みほした。そろそろ休憩時間も終わりだろう。ゆっくり立ち上がったところで、隣にまだ座ったままの鈴麗が声を上げた。
「……あの、今の話とは関係ないんですけど」
なんだろうかと見下ろすと、先ほどと同じように少し考え込んだ様子の鈴麗がこちらを見上げている。
「ここ最近、海苓様に変わった様子はなかったですか?」
「海苓ですか?」
問われ、反射的に親友のことを思い返した。といっても、凍治が海苓に最後にあったのは数日前のことだから、少し自信がないが、いつもの彼であったように思う。今頃<道>を護る任務で外に赴いているはずだ。
「何日か前に会ったきりですが、いつも通りだったと思いましたが……。海苓が何か?」
「なんとなく、いつもと違う気がして……話し方とか、……振る舞いとか、少し、硬いような」
鈴麗は若干身振り交じりに話そうとするのだが、凍治にはよく伝わってこなかった。言いたいことは喉元にあるのに言葉になって出てこないような様子に、少し手伝いを試みる。
「たとえばどんなことを言っていましたか?」
いくつか質問し、彼女の言葉を引き出そうとするが、鈴麗は逡巡し言葉を探して唸るだけで、なかなか形にすることが出来なかった。作業の再開を告げる声を聴いて、鈴麗は肩を落とした後凍治に向かって力のない笑顔を見せる。
「いえ……きっと気のせいだと思います。すみません、おかしなことを言って」
休憩前より少し身軽に動き始めた鈴麗を遠くで見守りながら、凍治は思考を巡らせていた。
今日のところはまずよいが、彼女の行動を把握しなければいけないことに変わりはない。何か参考になればと海苓にも尋ねてみたのだが、あまり参考にはならなかった。
海苓の話では、勘ではないらしい。
一度目鈴麗を見つけ出したときは手を入れられたのだと分かる微妙な草むらの乱れを線で繋ぐように追っていったら彼女がいたということだし、二度目は時々視線を巡らせるのを観察していたら次にどう動きそうなのかがなんとなく読めたということだった。
試してみたのだが、他の武官はおろか凍治も鈴麗の行動を追うことが出来ないという結果になった。海苓の観察力が突出しているせいなのかそれとも彼だけに感じられる何かがあるのか、真似できるものではないようだ。
一番良いのは護衛として海苓の力を借りることだが、鳳族への対応に重要な役割を果たしている彼を引き抜くのも難しかった。
(それにしても……)
からかう、とは。鈴麗にそう評された海苓の行動を思い、凍治は笑いそうになる。
(彼が誰かをからかう、ということがあるとは思わなかったね)
二人の間でどんなやり取りが交わされたのか、凍治の知るところではないが、海苓の言動が少なくとも鈴麗に「からかわれた」と感じさせるくらいのものであったということなのだろう。
基本的に海苓は他者と接するとき緊張状態にある。それは「証明者」の賛辞を受けることを恐れるからだ。相手のことを信頼し気を許せば態度は和らぐけれど、そう簡単に冗談を言ったりはしない。おそらくは一番親しい女性であった清蘭に対しても、それほどくだけた態度はとっていない。
そんな珍しい態度を、鈴麗には向けたのだという。
それは、もうずっと前から決まっていたのだと、凍治は思っている。
誰にも、清蘭でさえもたどり着けなかったその場所。
――つまり、そういうことだ。
2012.4.11