竜の王国シリーズ

竜珠の在り処




 歓声をあげてラエルとミーナが飛び出していく。ほっと息をついて、里珠もそのあとを追った。久しぶりの陽光に、体が解放された気分だ。
 向こうの方に街並みが見えるが、歩いていってもさほどではないだろう。たどり着ける場所がある、というだけでもずいぶんと楽だ。
 問題は街に入ってからだが、この辺はラエルとミーナのおかげで問題はなかった。
 どうやって手に入れたものなのか、二人はこの国で使える貨幣を持たされていたのだ。父親の話では、宿に泊まる分と、多少の物を買える分なのだという。それではこれで一体いくらなのかと三人の不完全な知識で相談した結果、三人が一泊して食事をするくらいなら大丈夫だろうということになった。
 人気のある場所に近づくとまず思い至るのは、自分たちの身なりである。両手など軽く超える日数、森の中を歩き通しだったのだから、土埃と汚れが尋常ではない。渦中にあったときは逃げ伸びることが精いっぱいだったから全く思わなかったが、一度気づいてしまうともう駄目で、里珠は思わず自分を見下ろしてしまった。風呂、とは言わないまでもせめて水浴びでもいいから汚れを落としたい。
 それはどうやら兄妹も同じらしく、それぞれ顔を見合わせている。
「お父さんが言ってたけど、僕らみたいにセランから逃げてきた人たちを泊めてくれるところがあるみたいなんだ」
「じゃあ、そこに行けばいいのね。どこにあるのか、なんて言うところか、わかる?」
 ラエルが呟いた宿の名前を頼りに、三人はとりあえず街へ向かう。

 この姿のまま街をうろつかなければいけないかと思ったが、宿はすぐに見つかった。ラエルが名をあげたその宿は、街の入り口、一番森に近いところにあったのだ。亡命者を受け入れるというのだから、それも当然だった。
 とりあえず覗いてみると、人好きのする女将らしき女性が軽やかに番台に現れる。あまりに早口だったので里珠はさっぱり聞き取れなかったのだが、その笑顔からすると里珠たち三人を拒む様子はなかった。
 どうにも自信がなかったので、やり取りを兄妹に任せて里珠は後ろで待つことにする。
 ほどなくして商談成立したようで、里珠たちは無事に宿に泊まることになった。
 部屋へ向かう途中、すれ違う女将ににこやかに肩を叩かれる。いたわるようなその笑顔に首をひねっていると、ラエルが教えてくれた。
「あの人、里珠がこの国の言葉をしゃべれないと思ってるんだよ。結構いるんだって、言葉も分からないまま逃げてくる人たち」
「そういうときはどうするの?」
「あの人はしゃべれないけど、別の番頭さんはセランの言葉が分かるから、その人に代わったりするんだって」
「私たちは、父さんが教えてくれたから、わかるだけなの」
 確かに、機会がなければ隣の国の言葉を学ぶことなどないだろう。里珠だって、獅苑の妃となるべく教育され始めてから学んだのだ。あれだけ追い詰められている国なら、なおさらだろう。
 ミーナの言葉に、里珠はなるほどと頷いた。


 
 里珠たちにとっては幸いなことに、この宿には共同風呂があった。セランから逃げてくる人々の格好は大方里珠たちと似たような姿になっている。その支援のためらしい。
 おかげで里珠はしっかりと汚れと埃を落とすことができた。竜珠を見られるとまずいと思ったのだが、ちょうどほかに利用者はいなかった。さっぱりして、ようやく人心地がつく。
 腰を落ち着けたら、次に考えることがある。
「二人とも、どこへ行く予定になっていたの?」
 里珠が尋ねると、ラエルとミーナは顔を見合わせた。困ったように眉を寄せている。
「それが、よくわからないんだ。父さんはわかってたと思うんだけど……」
「どこかにいくと、逃げてきた人だって認めてもらえるって言ってたよ。でも……」
 なんか難しい名前だった。ミーナは一生懸命首をひねりながら答える。
 こうして亡命者を受け入れる宿があるくらいだから、何か対策が講じられているのだろう。残念ながら里珠の頭の中に難民に関する知識の記憶はなかった。
「お役所、なのかなぁ……?」

 うーんと考え込んでいると、ミーナがこちらを見上げてくる。どうしたのかと目を合わせると、彼女は実に寂しそうにつぶやいた。
「里珠は、……竜の王国に帰るんだよね?」
「……うん、そうだね。まずは、お城のあるところへ行かなくちゃいけないけど……」
 きっとそこに大使館もあるだろう。自分の無事を伝えて王国へ連絡を取るには、そこへ行くしかない。
 里珠が答えると、兄妹そろって悲しそうな表情になる。しばらくの沈黙の後、意を決したようにラエルが口を開いた。
「あのね、――僕たちも里珠と一緒に行っちゃ、駄目かなあ」
「え?」
「だってさ、僕たち父さんも母さんもいなくなっちゃって、知ってる人たちもいなくて、……どこにも行くところがないから」
 確かに、役所に行って難民だと認められたとしても、そのあとはどうなるのだろう。しかも、子供二人だけだ。そのあたりの知識がまったくない里珠では、想像することができなかった。けれど、この二人を簡単に王国へ連れて行けるのかという問題もある。いろいろ国も絡んでくるだろう。――だが。
「うーん……。わからないけど……とりあえず一緒に都まで行ってみようか?」
 里珠は思わずそう答えていた。しばらく一緒にいて、離れるとさびしくなると思ったのも事実。子供二人だけ置き去りもやっぱりかわいそうと思ったのも確か。それに、大使館にいる人たちの方が、里珠よりよっぽどその辺のやり取りはわかるだろう――そう判断した。
 若干適当とも思える返答に、だが二人はぱっと表情を明るくする。その様子に里珠は安堵した。やっぱり、こういう笑顔の方が見ていて気持ちいい。

「それにしても、ここからだとどのくらいあるのかな」
 里珠はラエルが地図を持っていたことを思い出し、声をかけて貸してもらった。
 王都に当たるところはどこだろうと里珠が地図に目を走らせると、それぞれラエルとミーナが両隣から同じように覗き込んでくる。
 フェンメルトール――それが首都の名。まだまだしゃべるのが十分でないが、この固有名詞だけははっきり覚えている。確か、国の中央というよりは竜の王国寄りのところにあったように思う。単語をひとつひとつ追いながら探していくと、里珠たちがいるであろう場所とはだいぶ離れた位置にその名があった。
「ここだね……」
 どうやら街道は整備されているようだ。それでもひたすら歩いていったとしても長い道のりだろう。この国は竜の王国より広いのだ。西封村から王都までの距離よりはるかに遠い。
 しかし、歩いていければいずれ着くのだ。たどり着けないかもしれないという恐怖感と戦いながら森の中を歩くよりはずっと気が楽だろう。
「何日もかかりそうだけど……頑張って行ってみようか?」
 そう言って、里珠は不安そうに彼女を見る兄妹に笑いかけた。





「二人とも下がって!」
 里珠の鋭い声に応じて、ラエルとミーナは短刀を構えたまま後ろへ逃げていく。それをかすかに横目にとらえて、里珠は勢いよく槍を旋回させた。
 狙い過たず目の前の魔物を槍で貫く。穂先を払いながら、里珠の横を抜けて子供たちの方へ向かっていく魔物に向かって再度槍を翻した。切ることもできるように細工された側面を振るって魔物を足止めし、そのまま兄妹を庇うように滑り込む。
 ――このくらいなら、大したことない。
 少しでも魔物をラエルたちから引き離せるようにと、里珠は槍を構え直すと体重をかけて前へ突っ込んだ。ぐっと魔物の身体がかしぐと、その場に崩れ落ちていく。
 二匹とも全く身動きしないことを確認して、里珠はようやく息を吐いた。
「もう、大丈夫だよ」
 遠くで状況を見守っているラエルとミーナへ声をかけると、二人は短剣を戻しながら恐る恐ると言った様子で近づいてくる。
 地に伏している魔物の躯は、少し大きな獣の姿をしている。うち一匹は後ろ足だけでわずかな時間立ち上がることもできる不思議な姿をしていた。おかげで魔物を見慣れない兄妹が恐怖の声を上げる羽目になったのだ。
「けが、してない?」
 ミーナが心配そうな顔をするのに、里珠はにこやかに頷く。あの『龍神』の振舞いのように瞬殺とはいかないが、それでも大した時間もかけずに屠れる自信はあった。伊達に『守護の女神』だなんて恥ずかしい名前を付けられていたわけではないのだ。
「里珠は強いね」
 ラエルが憧れとわずかな悔しさを滲ませて言う。後ろで見ているしかないのが悔しいと思うのは、やはり男の子なのかもしれない。里珠はくすりと笑って、さあ行こうかと二人を促した。
「ラエルも、機会があったら学んだらいいの。私が武器を使えるのは、どうしても必要があったからだもの」
 里珠は出発する前に、魔物たちの躯を街道から避けて土の上へ転がしておいた。その辺の草も払って、軽く目隠し程度にかけておく。
 兄妹はとても嫌そうな顔をしたが、放置しておくのもまずいだろう。仲間――という概念もないはずだが、同種が死んでいるのを見つけて、追いかけてこられるのも困る。


 里珠たちは首都フェンメルトールを目指すため、ひたすら街道を歩いていた。宿の女将に注意された通りこの国にも魔物は現れるようになっているらしく、ここまで歩いてくる間、何度も魔物に遭遇している。
 心なしか、街道を行く人も少ない気がする。たいていは馬に乗っていたり、数人連れ立ったりする集団で、しっかり武装した護衛を連れている人も少なくなかった。
 行きかう人が途切れ、あたりに人の気配が薄れると、途端にどこからか魔物が現れるのだ。どこをどう見繕っても女子供でしかない里珠たちは狙いやすいのかもしれなかった。
(でも、まだ巨大化はしてない。だからこのくらいの魔物なら、私一人でも大丈夫)
 一緒にどうかと声をかけてくれる人は少なからずいたのだが、竜珠を持っている以上、あまり人と接することは避けたい。ひょんなことから変なところへ情報が行くのは困る。詮索されても困るし、変な見世物になってもまずい。
 魔物相手なら、里珠の出番だ。魔物退治の大部分は竜族の精鋭部隊に任せているとはいえ、日々の鍛錬は怠ったことはないし、森の中を歩いていた間に感覚が研ぎ澄まされてきたようで、今までよりはるかに軽い身のこなしで武器を振るうことができ、いっそ気持ちいい。
 幸いなのは、魔物たちの強さはさほどでもなく、竜珠の気配にもあまり敏感でないことだ。あまりに頻繁に現れるから、最初は里珠の竜珠に感づかれているのかとも思ったが、里珠より先にラエルとミーナを狙おうとする魔物ばかりなのを見て考えを改めた。
 もし万が一の時は、この竜珠を見せてしまえばいいだろう。少なくとも魔物の気をそらすことくらいはできるはずだ。
 そんなことが起きなければいいけど――と里珠は心の中で呟いた。




 
「二巡りになるな……」
 そう呟いて、獅苑は窓の外を見た。相変わらず、今日も晴天だ。
 視線を引きはがすように獅苑は自分の装備を確認する。ちょうど今から、王都の北側へ魔物退治に赴くのだ。
 獅苑にとっては久しぶりの出陣になる。
 桜華の占により里珠が無事であるとわかってから、獅苑の精神は少しずつ均衡を取り戻し始めていた。少なくとも、日中唐突に意識を失いそうになることはなくなっている。時々明らかに集中力が欠けているとわかるときがあるが、もう大丈夫だろうという霞炎と桜華の判断により、復帰となったのだ。
 魔物の襲撃が続き、兵の士気の問題が無視できなくなったというのもある。隣国に兵を派遣した分手薄になっているということもある。何よりこの辺で一度叩いておきたいというのが竜王である天眞の思惑らしかった。
 里珠が姿を消してから約半月。進められていた結婚式はあと半月後に迫っていたが、これでは先送りするしかないだろう。すでに公にされているが、魔物の跋扈が激しいからそれどころではないと民も不満はあっても納得せざるをえない。そういえば里珠の衣裳の準備をするはずだった女官たちも困り果てていた。
 積み上げられた書類を目にして、獅苑は苦笑する。魔物退治に赴く前にそれに関する決裁をさせられるとは思わなかったのだ。
「殿下、準備はよろしいでしょうか」
 軽く扉が叩かれて、出立を促す霞炎の声が向こうから聞こえてきた。それに応じると、獅苑は卓の上に置かれたままの剣をつかんで歩き出す。
 ここを出て、竜族の前に立つときは、自分はすでに『龍神』――竜族最強の兵だ。
 里珠が理想とする姿だけは崩せないと心の中で繰り返して、獅苑は静かに部屋を出た。






 魔物の跳梁は首都に近づくほどにひどくなってきた。
 もしかしたらこれは竜の王国から流れ込んできたのだろうかと里珠が訝しく思うほどだ。
 今も、遠く近くに魔物の存在が感じられる。一刻ほど前は魔物に襲われかけていた人々を見かけて思わず飛び出していたし、その前にも小物ではあったが魔物に狙われた。里珠たちだけ、というわけでもないようなのだ。時々街道からは死角になる位置に小山になっている影が見えることがある――ラエルとミーナの手前口にはしないが、あれは間違いなく仕留められた魔物だろう。
 里珠自身はほとんど連戦と言ってもいいような具合だが、疲労は全く感じずむしろ気分は最高によい。勘も冴えていると思う。ラエルとミーナが心配してくるのだから、あまり良い兆候ではないのかもしれないが。それでも、十日以上森の中をさまよったとは思えないほど体が軽いのだ。
(どうしよう……)
 あたりの気配をうかがいながら、里珠は思案した。それぞれ距離の違いはあれど、存在する魔物は片手を軽く超えている。これに全部囲まれたとしたらどうなるだろうか。里珠の傍にはまだ非力な子供が二人いて、しかも周囲にはいくらか人々もいるのだ。まずいことに、魔物が襲撃を手控えるような屈強な男や武装した戦士と見える人々がいない。全員に好き勝手襲いかかられたとしたら、里珠であっても太刀打ちできない。
(困ったなあ、方法がないわけじゃないんだけど……)
 魔物の狙いを引き寄せる手段なら、里珠にはある。けれど、里珠が感じ取れるだけの魔物がすべて目の前に現れたとしたら、――ただでは済まないかも、と思う。
 しかし、それ以上考えている暇はなくなった。

 魔物の気配は前後左右、里珠を中心として囲むように存在している。街道の向こうからやってきた数人の一行が里珠のいる場所からも顔を判別できるようになった頃、その声は聞こえてきた。
 森の奥から飛び出してきた影を見て、里珠は槍を構えると走り出す。
「ラエル、ミーナ、ついてきて!」
 本当ならばその場に残しておくか、木陰にでも潜むように言うところなのだが、今回に限っては後ろにも魔物がいる。魔物たちが狙うのは弱くて食らいやすい生き物からなのだから、そちらの方が危険だった。
 ほんの一瞬視線を巡らすと、それぞれ短剣を構えた兄妹が里珠を追いかけてくる。それだけ確認してから里珠はそのまま前進し、不気味な声に動きを止めた旅の一行の横をすり抜けた。
 最初に姿を見せた魔物は、そのさらに向こうだ。魔物に反応した里珠の動きに応じて、周囲を囲んでいた魔物の気配が動き出す。
 奇怪な声とともに飛び込んでくる魔物を見据えると、里珠は勢いよく地面を蹴った。飛び出した勢いのまま槍を鋭くついて、一瞬にして魔物をとらえる。
「くっ……!」
 そのまま腰を落として地面を強く踏みしめると、里珠は渾身の力を込めて槍を旋回させた。すぐ隣に姿を現した犬のような魔物に、槍身を刺さった魔物ごと叩きつける。ぶつかった二匹は絡まったまま遠くへ転がっていき、里珠の槍から離れていった。
「まだ二匹目!」
 ラエルとミーナがどうなっているか里珠は視線を巡らせる。どうやらたまたま一緒に襲われた一行も、それなりの護身術は心得ていたらしい。里珠や兵士のようにはいかなくても、やすやすと襲わせないだけの実力はあるようだ。
 あたりを見回す途中、誰にも見つからぬまま近づきつつある魔物を見つけ、里珠はそれを阻むべく駆けだす。

 ――問題は、一撃で致命傷を与えるには至らないこと。ある程度深手を与えてしまえば、一匹目の魔物のようにそのまま戦線離脱してくれる。だが、ほとんど包囲状態にあるこの状況で少しでも魔物を退けようとすれば、威嚇して少しでも距離を取らせる程度のことで手一杯だ。場合によっては、魔物の戦意を煽るだけになる。そして、最大の問題はこれを繰り返しているうちにこちらの体力が限界に来てしまうということだ。
「うわぁ!」
 背後から悲鳴が上がる。里珠が慌てて振り返ると、そちらに三匹魔物が迫っていた。舌打ちしたい気分で身を翻す。槍を構えると、突進する勢いで魔物につっこんだ。
 耳元に響く、つんざくような絶叫。傷が深いととっさに判断すると、里珠は後ろへ身を退きそのまま槍を引き抜く。魔物が倒れたと確認する暇もなく、里珠はその隣の魔物へ向かって槍を旋回させた。
 横から聞こえたラエルとミーナの悲鳴に、思わず足が揺らぎそうになる。それぞれ身を護る方法は持っていても、ほとんど多勢に無勢。魔物と一対一になれるのは里珠だけだ。
(このままだと……)
 早々に誰かが倒れてしまう。だいたいにして、里珠自身の身体も少し怪しくなってきた。さっきまでは保てていた体の軽さが一気にどこかへ行ってしまったかのようだ。

 もし、この竜珠を魔物の前にさらしたら、他の人間を襲うより効果的だと魔物は考えるだろうか。
 もし里珠がそのまま一人で逃げたとしたら、すべての魔物がついてくるか? ――魔物の大群に囲まれたあのときも、里珠の友人がなす術もなく倒れていたにもかかわらず、里珠が現れたとき即座に狙いを変えた。
 あのときは知恵のある魔物が統率していたのだったか。それでも本能的に竜の気配を感じ取ってくれるか。たとえ戦う力を持つ者でも、集団でかかれば何とでもなると考えてくれるか?
 何より、そんなことをしたとして――そのあとどうするつもりなのか?
 逃げるにしても、ひたすら街道を駆けるか、森に逃げ込むのか。戦うにしても、一度にこの数を相手にできるわけがない。

(でも、このままじゃあ、ラエルもミーナも危なくなる)
 誰かを護りながらより、一人での方が何とでもなるはずだ。最後にそう判断すると、首周りの紐を解いて、脱いだ上着をすぐ近くにいた魔物の眼前に投げつけた。
 まるで水晶のような竜珠は、陽光を受けて澄み渡った光を放つ。
 それを認めた魔物の雰囲気が変わった。おそらくは竜珠の胸元に輝くそれがなんであるか分かるのだ。姿を見せるまで気づかなかったということは、本当は一匹一匹は大したことはない。
 里珠は挑発するように魔物に笑ってみせる。こちらの表情が読み取れるのか知ったことではないが、自分を鼓舞するためにも必要だった。
「ほしければ、倒してみるのね」
 そう言って、里珠は地面を蹴る。本来向かうはずだった街道の先へ向かって駆け出した。ちょうど魔物がいない隙間だ。
「ラエル、ミーナ、そこから動かないで!」
 振り返ると、そこにいた魔物がすべて、里珠の動きに反応してこちらへ動き出している。ただ人間を糧にするより、竜珠を得る効果を取ったのだろう。里珠にとってはありがたい習性だった。
 兄妹を含めた人間がぽかんとした様子でこちらを見ているのを、視界の端にとらえる。残念ながら説明している暇がなかったが、彼らが一応無事なら一安心だ。
 ――後は、自分が何とか逃げ伸びるだけ。

 
 後ろの気配を確認し、里珠はぴたりと逃げる足を止める。他の魔物より早く飛び出してこちらへ肉薄してくる魔物をとらえると、その勢いに乗じるように槍を旋回させる。
(長刀があればよかったのに)
 里珠は意識の隅でふと思った。作戦上最近はほとんど使うことがなかったから、自室に保管されているままだ。それがあるだけでも随分と戦い方を変えられるのに。しかし、ないものは仕方がない。
 難なく一匹を仕留めると、その後ろからこちらへ向かってくる魔物を確認し、里珠は再び走り出した。全力で走れば引き離すことはできそうだが、この場合は意味がない。
 踏み固められた街道の土の上をひたすら走る。右手に森が近いのを見つけ、里珠は一瞬迷った。
 うまく相手を翻弄して一対一になるのなら、こんな開けたところよりは森の方がいい。
 他のものより距離を詰め肉薄してくる魔物に里珠は向き直った。――これを倒したら、森へ逃げよう。
 飛びかかってくるのを横へ飛んで逃げ、横合いから槍を突く。紙一重で避けられるが里珠も退かず、さらに槍を繰りだした。大きな口を開いて牙を見せてくるが、そのくらいは対して怖くもないのだ。逆に槍を思い切り振って威圧してやる。
 困ったことに今度の魔物はそう簡単には槍を受けてくれなかった。そのうちに他の魔物もどんどん距離を詰めてきている。包囲されるのも時間の問題か。先に森に駆け込んでしまった方が良かったかもしれない。
 武器もなく追いかけられたあの日の感覚が背中を這い上ってくるようで、里珠は自分がだんだん焦り始めていることに気づく。違うものに気を取られては、目の前の魔物にやられてしまうというのに――。


 ふっと頭上を影が通った。鳥と言うには大きすぎ、雲と言うには陽の遮り方が低すぎる。
「里珠様、加勢します!」
 それどころではないのにいったい何かと空を振り仰ぎそうになった里珠の耳に、そんな叫びが届いた。
 里珠の頭上を越えて、彼女を捕まえようと迫ってきていた魔物に突っ込んでいったのは――飛竜。
(どうして――?)
 一瞬脳裏に疑問が浮かんだが、それどころではない。里珠は目の前にいる魔物に勢いよく槍を突き出した。突然の乱入に動揺したのだろう魔物は先ほどと違い呆気なく槍に貫かれる。
 そこが里珠の限界だったらしい。槍に体重をかけたまま引き戻すことができず、里珠はそのまま地面に両膝をついた。魔物の身体に突き立った槍にぶら下がったまま、里珠はゆっくりとあたりを見回す。
 もう里珠に襲いかかってこようとする魔物はいない。つい先ほど踊りこんできた飛竜に乗っていた青年がすべて引き受けているのだ。よく見れば、魔物に刺さっている矢は明らかに空から撃たれたものだとわかる。
 空には、飛竜が美しく舞う姿がある。合わせて二頭の飛竜と二人の竜騎兵が何故かここにいるのだ。
 ここは竜の王国ではない。それなのにどうして竜族がいるのか。
 座り込んだまま唖然としている里珠の前に、ゆっくりと飛竜が降りてきた。その背に乗る兵の顔に見覚えがある。
「里珠様、ご無事ですか!?」
 慌てた様子で駆けてくるその人は、時々里珠に稽古をつけてくれる竜族の青年だった。
 立ち上がろうと思ったのだが、すっかり足腰から力が抜けていて里珠は全く動くことができない。戦い続けてきた疲労が一気にきたのかもしれない――あるいは救いの手があったために気が抜けたのだろう。
「お怪我はありませんか」
「私は、ないです。向こうにいる人たちが、怪我をしているかも……」
「ああ、そちらには別の者が向かいました。いくら里珠様でも、一人であれだけを引き受けるのは無茶ですよ」
 ちょうど巡回中でよかったと、青年は言った。自分でも自覚していた指摘に、里珠は困ったように笑うしかない。それでもこの青年だからこの程度の言葉で済んでいるのであって、もしこれが獅苑なら一も二もなく雷が落ちていた。たぶん言い訳は聞いてくれない。
 それを想像して、里珠は思いついたことを青年に尋ねてみた。
「……獅苑様は、大丈夫、でしたか?」
 竜珠はその主の傍を離れてはいけない、と言われる。もう半月になろうかという長さの不在に、当の獅苑はどうだったのだろうか。
 頭がぐらぐらしてきた。なんとなく周囲が回っているような気もしてくる。
「里珠様がいらっしゃらない分も兵たちを支えてくださっていましたよ。それでも、ずっと里珠様のことを心配していらっしゃいました。こうして無事だとわかったら、とても安堵されるでしょう」 
「そ、う……」
 青年の言葉に少しほっとした。
「もう……大丈、夫……ね?」
 呟くと同時に里珠の身体から力が抜ける。一瞬にして目の前が真っ白になった。
(よかった、帰れる……)





 最後の書類の決裁を終えた獅苑は、ふと窓の外を見て眉をしかめた。
 なんとなくやけに騒がしい気がする。そう言えば先ほどずいぶん勢いよく飛竜が降りてくるのを見たが、何かあったか。隣国からの定期連絡も昨日来たばかりだが――。
 考え込んでいるうちに誰かが廊下を走る騒々しい音が聞こえてきた。女官が廊下を走り回るということは非常時でもなければまずあり得ない。この城の中で日常的に廊下を走ることがあるのは国王妃である悠那と徐々に彼女に感化されつつある里珠だけで、しかしその足音とは響きが違う――その上里珠の足音が今聞こえてくるはずがない――。
 一体誰かと首を捻っていると、足音は獅苑の部屋の前で止まり、同時に扉をたたく音がした。
「殿下、よろしいでしょうか!」
 珍しく慌てた口調でそう告げたのは副官である。つまり廊下を走ってきたのは本当に珍しいことだが彼であった。
「どうした」
 獅苑が応じると、待ちきれないとばかりに扉が勢いよく開く。入ってきたのはやけに明るい様子の霞炎だった。
「殿下、吉報ですよ。今、隣国から急使が報告にきたのですが……」
 そのあとに続いた内容に、獅苑は思わず椅子を蹴って立ち上がっていた。
「里珠様が、無事に保護されたそうです」


2008.12.19

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