時の円環-Reconstruction-


10



 次の日。
 自分たちは確かに神族領へ来たのだと、鈴麗は思い知る羽目になった。

 朝起きたら、侍女だという女性が部屋の外で待っていた。されたことのない扱いに仰天し、鈴麗は父の身分の高さに思いを馳せる。使用人がいるということは、けっこうな人ではないのか。
 王城に参上しなければならないから、との言葉に、用意された服に着替えると不思議な感覚がした。
 鈴麗はその衣装をまじまじと見る。織り方や材質がわずかに違うが、鳳族のそれと大差はないようだ。それでも雰囲気が違う。
 鏡を見ると不思議なことに黒髪の自分とその衣装に違和感はなかった。というよりは侍女の黒髪にまず驚いた。そして、黒髪が神族の印だということを思い出したのだ。
 鈴麗に服の着方を教えてくれ支度を手伝い、髪を結ってくれた侍女は鈴麗よりわずかに年上で、幼い頃からここに使えているのだと言った。その黒髪は鈴麗と比べわずかにくすんだ灰色が混じっている気はしたが、それでも鳳族の中では決して見たことのない黒髪だ。
「鈴麗の髪はとても艶やかな黒ね。華瑛様に似ているけれど、こんなに綺麗な黒髪の人は神族でもあまり見かけないのよ」
 敬語を使われるのは気恥ずかしいから止めて欲しいとの懇願に笑った侍女は自分の名を愛林(あいりん)と名乗り、鈴麗の望み通り敬語を使わずに話してくれた。
「華瑛様が私と同じくらいの娘が来ると教えてくださったの。どんな子なんだろうと楽しみにしていたのよ」
 わからないことは何でも聞いて、との言葉に鈴麗は嬉しくなる。あるいは神族のことを何も知らないであろう鈴麗のことを見越して、彼女を侍女にしていたのかもしれない。

 そして部屋の外へ出て食事をとるための部屋に行き、鈴麗はやはり驚嘆する羽目になる。すれ違う使用人が当たり前だが皆黒髪に黒い眼の――もちろん個人差はあるが――人ばかりなのだ。これまで自分と父以外に黒髪の人を見たことがない鈴麗にとっては奇妙な気分だった。同時に黒髪が神族の証だという意味を今更納得する。
 食卓について、今度は逆に光玉が『異種』なのだということを思い知る。母の綺麗な栗色の髪はこの場では明らかに異質だった。鳳族の王城で鈴麗が黒髪故に目立ったように、その母の髪はここでは目立つのだ。
 しかし、母はまったく気にする様子がなく、むしろ。
「これ、初めて食べるわ。どんな風に作るのかしら」
 おそらくは料理人を相手に朝食の献立について質問攻めだ。褒められ乞われて悪い気はしないらしく、独特の服装をしたその男性はにこやかに質問に応じている。
 その適応力の高さといおうか周りを構わぬ振る舞いといおうか、母の強さを鈴麗は実感した。
 確かに、味付けや食材が鈴麗の知る鳳族の食事とはいくらか違うようだ。いずれ慣れていくにしても、最初は大変かもしれない。
「食事が終わったら、陛下にお目通りしなくてはならないからね」
 その父の言葉に鈴麗は我に返った。



 食後の茶まで頂いてから鈴麗たちは家を出た。最初は乗り物をと申し出をされたのだが、街の案内も兼ねてゆっくり行こうと父がいい、歩いていくことになったのだ。鈴麗としてもそのほうが気が楽だ。
 街へ出たとき、やっぱりちょっとだけ違うと鈴麗は思った。ほんのわずかな街並みの違いだ。石畳の素材や、建物の雰囲気や、店の売り物や――何より道行く人が皆黒髪。
 今までは黒髪であること、神族であることから逃れられなかった。今はむしろ隣にいる母のほうへ視線が向かう。娘を連れる栗色の髪の女性。それの前を行くのが華瑛だとわかれば、どういう存在なのか、誰なのかわかるはずだ。そして人々の視線はようやく鈴麗に向かうことになる。
 光玉は周囲からの視線にも臆せずにこやかに挨拶をする。それに一緒になって挨拶をしながら、やっぱり強いなと鈴麗は母を見た。



 王城だ、と言われたところはやはり鳳族とどこか似たつくりをしていて、けれどやはり雰囲気が違っていた。何より鳳族の城にあった荘厳な、威厳のある感覚はない。むしろ、すべてを受け入れてくれるような感覚になる。 
 あちらは軍部棟、向こうは研究棟、と案内されながら歩く。どうやら重要な施設というのは基本的に王城に集中しているらしい。山と森を背にした王宮はその前面に巨大な城下町を誇っている。いざとなればそこが盾となるわけだが、今まで神族が攻め入られたなどという記録は聞かない。
「そしてここが中央になる政務のための場所で、ずっと奥が神殿――神々の石碑を祭る重要な場所だ」
 それが森に続く場所だ、ということだろう。説明に合わせて頭の中で地図をつくりながら、鈴麗は華瑛のあとに続いて廊を歩く。
 あまり特徴的でない回廊が続いていることに、鈴麗は少し冷や汗をかいた。これはきっと慣れるまで迷うに違いない。
 広い庭の中を抜ける廊を歩いていて、鈴麗はふと中庭の一角に人影を見つけた。
「……?」
 一瞬惹かれて、だが前を行く父や母の姿を見失いそうになって、鈴麗は慌てて回廊を駆け出す。東屋のようなところで座っているらしい誰かを思い返して、鈴麗は首を捻った。



 謁見の間と呼ばれるところは、鳳族の王城とは違って簡素でさほど広くない部屋だった。数百人が入るような場を想定はしていないらしい。
 一段高くしつらえられた玉座の上に、壮年にかかる頃の男性が座っていた。このひとが陛下。神族を統べる王なのだ。
「よく来た、光玉殿、鈴麗殿。慣れるまでは戸惑いもあり敵も多いだろう。だが私はあなた方がいずれ同朋として溶け込むことを願う」
 我々にどうか力を与えて欲しい――それはつまりは医学のことであろうが、初めて謁見する神族の王は物腰の柔らかそうなひとだった。
 そんな一言が、なんとなく嬉しい。鳳族の皇帝に低頭したときのような恐怖感はなく、鈴麗は母と一緒に礼をしていた。

 隣にいた一人の男性が進み出る。ひとつだけ、と言って鈴麗を見た。
「申し訳ないが、鈴麗殿。あなたの魔術の力をどうか見せて欲しい」
 真っ直ぐ告げられた言葉に、鈴麗は姿勢を正す。言われるだろうとは思っていた。それが鈴麗が『神族の娘』と見なされた理由で、神族には未だ信じられていないことだ。
「はい」
 呼ばれるまま、静かに前に出る。長衣をまとった、父と同じ年頃の男性が鈴麗の前に立った。神官なのだというその人は、確かに鈴麗がよく知る武官や父とは少し違った雰囲気だった。
「眠りの魔術を習得したと聞いた。私にそれを使ってみて欲しい」
 それがつまりは鈴麗がこの王宮へ呼び出された本来の目的で、これにより鈴麗は正式に神族であると認められるのだろう。

 手を貸していただけますか、と鈴麗は言った。目の前の神官は不思議そうな顔をしたが、抵抗せずに鈴麗に手を出してくれる。その脈をとりながら、鈴麗はあのときのことを思い返しながら、ゆっくりと神官の脈診を進めていった。
 ごく普通の人。脈の乱れも気の乱れもないようだ。では、このひとに眠りをもたらすにはどうすると良いか。回数を重ねるごとに魔術の構築は容易になる。
 あっという間に印と呪文を織り上げると、鈴麗は眠りの魔術を発動させた。
 澄んだ音が響き、一瞬あとには静寂が訪れる。
「どうなのだ?」
 玉座に座る王がわずかに身を乗り出した。結果を知りたくているらしい。思ったより好奇心旺盛な人なのだと鈴麗はぼんやり思う。
 鈴麗が返事のない目の前の神官を見上げると、彼は唖然とした顔をしていた。
「これは……」
 思い出したように呟くがその後が続かない。王に促され、呆気に取られたまま神官はようやく息を継いだ。
「華瑛殿からの報告通り、鈴麗殿の魔術の使い方は『稀』です。我々の魔術法術の発展に大いに寄与するものでしょう。鈴麗殿は心身をよく診て、狙いを絞って魔術をかけられるようですな……それも医学知識の賜物でしょうか」
 王に報告された内容に、自分は評価されたのだと鈴麗は思った。言葉も出ない。本当にそう言われることがあるだなんて。
「海苓と、いい勝負か?」
 神官の報告に王は楽しそうに笑う。聞いたことのある名前に目を瞠る。そうだ、父が言っていた、神族の中でも変わった術の使い方をする人。――芳姫を眠りに落とした人、だ。
 王の問いに神官はわずかに考え込んだ。
「確か、海苓殿が鳳族の皇女へかけた術を、鈴麗殿が解いたのでしたな」
「いえ……父の支援あってのことです」
 鈴麗はわずかに俯く。彼らにとってはあまり良いことではないだろう。代わりに得るものがあるから許しただけのことに違いない。
「相手と術そのものを分析し作り上げる方法は鈴麗殿のほうが明確です。今はまだ覚え始めたばかりでしょうから、これから鍛錬すれば鈴麗殿のほうが明らかに上手。ただ、同じ基礎を海苓殿が身につけられればどうでしょうな」
 それも面白いかもしれません、と神官も笑った。
 そのやり取りを以って、鈴麗は正式に神族と認められ、両親と共にこの領地に住まうことが決定したのだ。



 角を曲がった先の光景が、少し前にも見た回廊だったような気がして、鈴麗はため息をついた。
「やっちゃった……」
 どうやら完全に道に迷ったらしい。初日とはいえ、これはあんまりだろう。
 謁見の間にいた神族たちから温かい歓迎を受け、気が緩んだらしい。興味一杯で辺りを見回しながら歩いているうちに、先行していた両親と見事にはぐれたのだ。一応最初に来たであろう城門のほうへ向かっているつもりなのだが、だんだん自信がなくなってきた。
 鳳族の王城に上がったばかりの頃もこうして迷うことがあったと情けなくなる。

 がっくり肩を落としながら歩いていると、視界に緑が広がった。
 謁見の間に向かうとき通った中庭だ。どうやらここまでは戻ってこれたらしい。思わず東屋へ目を向けたが、先ほどの人影はなかった。
 問題はここからだ。城に上がり、真っ直ぐここまで来たのではない。華瑛は鈴麗と光玉を案内しながら来たのだ。当然ながら最短距離など通っていないだろう。同じ道など行けるはずもなく、当然ながら迷うに決まっている。
「……誰かに道を聞いたほうが早い」
 聞かれたほうは間抜けなことだと思うに違いないが、と鈴麗はため息を吐きながら角を曲がろうとした。
 はっと気付いたときには目の前に誰かがいる。慌てて鈴麗は足を止め、顔を上げた。
「すみませんっ、前を見てませんでした……! ……!?」
 謝罪の言葉を口にしながら鈴麗は見上げ、そこに映ったものに絶句した。

 そこにいるのは鈴麗より頭ひとつ分以上大きい青年。鈴麗が見たのは彼の胸部で、危うくぶつかるところだったのだ。彼も当然ながら黒髪だったが、他の人々と比べて茶色が濃く混じっている気がする。陽に透けたところははっきりと濃茶色で、瞬間、母や鳳族の人たちを思い出した。
 だが、鈴麗がその顔を凝視したのは、その人がよく知る人に酷似していたからだ。
 意志の強そうな目も、凛々しい眉も、その輪郭も口元も。いつも浮かべていた笑みはなく、驚いた様子だったけれど。
「どうして……?」
 背は確かに彼より高い。髪の長さも彼より短い。何より髪と瞳の色は確かに神族だ。
 しかし、他人の空似と言うにはあまりに似すぎている。ありえないことだがまるで血族かと思うほど、目の前の青年は――龍炎によく似ていた。

 自分が見つめられていることに気付いたのだろう、青年は怪訝な顔をした。
「……何か?」
 あまりにぶしつけだったと鈴麗は我に返る。そしてこの人に道が聞けるのだということに気がついた。
「あの、城門へ戻りたいのですが、……その、行き方がわからなくなって……教えていただけませんか」
 鈴麗が慌てて言うと、青年は一瞬ぽかんとした後、呆れたように笑いを浮かべた。それを見て、困った、と思う。笑ったら、ますます龍炎に見えてきた。
「ここからならそんなに遠い距離ではないが」
「ええと……その、初めてだったもので」
 苦笑混じりの声も、まるで龍炎の声そのものを聞いている気がする。鈴麗は心の中で言い聞かせた。似ているだけで人を重ねるなんて、相手に失礼だ。
 鈴麗の返答に、青年は何かに気付いたらしい。
「ああ、そうか。……では案内しよう」



 青年の言った通り、城門まではすぐだった。門の下に、華瑛と光玉の姿が見える。早速迷子になったらしい娘をどうしたものかと相談していたようだった。
 二人に近づくと、華瑛のほうがこちらに気付いた。安堵したように手を上げる。
「娘さんが迷っていましたよ」
 青年は柔らかな声で華瑛に呼びかけた。が、驚愕の事実はその華瑛の返答からもたらされた。
「ああ、すまない、海苓殿。助かったよ」
 今、父はなんと言ったか。

「……海苓、殿」
 鈴麗が呟くと、反応したらしい青年がこちらを振り返る。目が合い、鈴麗は思わず息を呑んだ。
 その名を聞くのは初めてではない。鈴麗と魔術の使い方が似ている人。そして。
 こちらを見下ろす瞳は、冷たい。龍炎にこんな目を向けられたことはない。
 瞳にその光を宿したまま、海苓という名の青年は薄く笑った。
「あの術が解けるとは……いや、こんなに早く目覚めさせるとは想定しなかったな。大したものだ、『鈴麗殿』」
 呆気にとられながら、どうして自分の名を知っているのだろうかと鈴麗は頭の片隅で思う。
「あと一、二年くらいは皇女様に眠っていてもらえると良かったんだがな」
 彼は鈴麗を見て、ひどく辛そうに表情を歪めて言った。
 一月前、あの光の矢の先にいた人。芳姫に眠りの術をかけ、覚めない眠りへ落とした人。
 驚くほど龍炎に似ているこの人が、――その、海苓なのだ。



(了)
2008.3.9


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