時の円環-Reconstruction-




 はたして、神族とは何者か――?


 神々の世界へと続く扉を護る者。
 そのために、人間たちより強い力とわずかに長い寿命を、神々から与えられた者。
 人間の使えない魔術を使いこなす者。
 特徴的な、黒髪を持つ者。
 人間と変わらない心を持つ者。

 それが鈴麗の知る神族のすべてだ。その身に半分血を継ぎながら、鈴麗は神族のことをほとんど知らないのだった。



 そこに踏み込んだとき、鈴麗は空気が変わったと思った。
 つくりは、王宮の今まで案内された各棟とさほど違うものではない。全体的に華美な装飾は抑えられ、壁や天井、調度に白が目立つ程度の違いだ。それでも、何か空気が張り、清廉さを感じさせる。
「ここが神殿――王宮の奥に位置し、我々神族がその礎とするところだ」
 先を行く華瑛がそう説明し、鈴麗は隣に居並ぶ光玉と揃って天井を見上げた。壁の天井近くに浮き彫りされた模様は、また鳳族の好むものとは違うようだ。

 鳳族にも、神々を祀る廟が王宮の中にあり、小さなものが街中にも点在していた。それときっと同じような役割なのだろう。
 鈴麗にとってはすべて鳳族と比較していくことしかできないが、それもやむを得ない。生まれたときからこれを当然としてきた神族たちと鈴麗は根本的なところが違っているのだろうから。――ここでも自分は異質なのかもしれないと思うと憂鬱になる。

 すれ違う人に会釈をし、鈴麗はその服装に目を止めた。昨日鈴麗の魔術を試した神官と同じ服装だ。つまりあの長衣が神官の正装ということだ。これでひとつ覚えたことになる。
 華瑛は構わず鈴麗と光玉とを連れて神殿を進んでいった。地下への階段を示して、二人をそちらへ導いていく。

 やがて階段が途切れると、そこには広い空間が広がっていた。
 円形のその部屋は、天井の中央から明るく輝く水晶がひとつ下がるばかりで、他には何もないただ広い空間だ。その広さで思い出すのは鳳族の王城の謁見の間。
 何もない。けれど、鈴麗にはそこに強い力が満たされていることがわかる。
「鈴麗はわかるかい? ここは神族領でもっとも神々の力が強い場所だ。強い力が必要な魔術を行うときは、この地下室を使うんだよ」
 例えば重傷の治療をするときだったり、力を使い果たした法術士が休むときだったり、遙か昔の魔術を再現するとき――と華瑛はいくつかの話をしてくれた。
 きょろきょろ見回していると、母と目が合う。
「魔力は私にはわからないけれど、清浄な空気というのはこういうものを言うのかしらね」
「さあ、もうひとつだけ見せたいものがある。森の奥にあるものだ」
 父に促されて、鈴麗たちは地下室を出た。



 神殿を出てさらに奥には深い森が広がっている。獣道を手入れしたような道がひとつ真っ直ぐ続いている他はあまり手が入れられていないようだ。奥の方に見えた樹が火傷に効くものだったような気がして、鈴麗は思わず身を乗り出した。
 苦笑混じりの父の声が、鈴麗の動きを止める。
「ここは一応禁域だから、あまり道を逸れない方がいい。決められた場所以外を行くには、許可が要るんだ」
 我に返り、鈴麗はばつが悪くなった。神殿の奥、なのだからそれも当然だ。医術がらみになると我を忘れるから困る。横では母が口元を隠して楽しそうに笑っていて、ますますばつが悪い。
 道の両側は歩きやすいよう手が入れられていて見通しはいい。だが少し奥を覗けば鬱蒼としていて、空気は湿気を含む。
 その中を父に先導されて歩いていると、やがて開けた場所に辿り着いた。

 きっと作られた場所なのだろう。円状に設けられた広場。その中央には父の背より高い石碑がひとつあるのみ。
 そこに刻まれているのは神族の言葉だろう。鈴麗が読み書きに普段使っていた鳳族の言葉とは、いくらか単語や文字が違うが、父からも手ほどきを受けていたためか多少突っかかる程度で読み取ることができた。

『この地へ生まれ着いた者よ。更なる高みを目指し日々魂を磨き、いずれの日か、神々の元へ至らん』
 神族は神々の地へ続く扉を護る者――思い出した鈴麗は思わず呟く。
「神々の世界への、扉?」
 だが、この石碑、あるいはこの場所が扉だとしても、この文章には何か違和感がある。もしかしたら読み間違えただろうか。

「鳳族を初めとする人間たちは、ここに辿り着けば神々の元へ至れると考えているが、そもそも扉なんていうものはないんだよ」
「扉は、ない?」
 人々は競い合うように神族の領土を目指す。何故なら、そこには彼らが護る神々の世界へ続く道があり、神族はその扉の番人である。神族を倒しそこを手に入れることができれば、人々は神々の力を手に入れ、この大地に長く根ざすことができる……。
 鳳族の皇帝も、それを目指していたのではないのか。神族と人間との戦が絶えることがないのも、人々がその扉を求めるからではなかったか。
 けれど、その扉そのものが存在しないとするなら、今までこの大地に起こってきた戦というのは、意味があったのだろうか。
「じゃあ、戦の意味って……」
「そう、鳳族たちが勝ったとしても彼らの目的は達成されない。神々の元へ辿り着くには、自分を磨いていくしかないんだ。もっとも、その真実を知ることが出来るというなら意味はあるかもしれないね」

 父の話は、鈴麗の知識を根底からひっくり返すものだった。
 神族は自分たちの拠り所としてこの地を護ろうとした。それを人間が神々の地へ続く扉だと誤解したのだ。因縁が始まったのは気の遠くなるような遙か昔。神族が真実を伝えても、人間は信じない。そして神族もこの場所を明け渡すわけにはいかなかった。――それが長きにわたって続く戦の理由。
「たったそれだけ?」
 鈴麗は呆気にとられて目の前の石碑を見つめる。もし鳳族の者がここへ辿り着くことがあって、この文を読んだとしたら、自分たちが失ったものの大きさに愕然とするだろうか。
 ――でも、あるいは。
 ふと思い至って鈴麗は考え直す。信じない、気がする。きっと神々の世界へ続く道は別にあると思うかもしれない。だってそうだろう。いくら自分が鍛錬すれば神族に生まれ、いずれ神々のところへ辿り着くと分かっても、それは今のことではないのだから。
 今、力が欲しいから、人間はここを目指すのだ。ここを手に入れれば、その部族が覇者だ。そして、神々の力が手に入らないなら、人間たちはきっと神族に目をつける。鳳族の皇帝が鈴麗に目をつけたように。
 だから神族は負けることができない。この地をあけ渡すということは、自分たちの拠り所と、そして身の安全を失うということなのだ。

 昨日出逢ったばかりの青年を、鈴麗は思い出した。芳姫を眠らせた張本人。彼はなんと言っていただろうか。
『あと一、二年くらいは皇女様に眠っていてもらえると良かったんだがな』
 戦は疲弊を生むだけだ。彼らの望みは戦が起こらないこと。たった一月だけではあったけれど、芳姫が眠っていたことで戦は停止していた。芳姫が目覚めたことで、また近いうちに戦が起こる。
 それを思えば、あの青年がどんな思いで芳姫に術をかけたか、それを解いてしまった鈴麗を見たのか、判る気がした。



 この世界は、魂の輪廻する場所だ。どんな生き物も魂を宿していて、その天命を果たし終えたあと、魂は次なる命へと転生するのだ。
 数え切れないほどの転生を繰り返し、その魂はやがて神の元へ辿り着く――というのが鈴麗の知る輪廻転生の話。
 何故神々の元へ辿り着くのに転生を繰り返すことが必要なのか、いくつもの説明を聞いたが、人が天命を持つように魂も宿命を持っており、それを果たすまでは神々の元へ至ることはできないのだという。
 その宿命の最たるものが、比翼の魂を持つという鳳族の皇族だ。鳳族は、生まれたときから出会うべき伴侶は定められているとする。皇族に子が生まれたとき、すぐに占いにより運命の伴侶が探し出されるのだ。身分の貴賎はまったく関係なく、ただ比翼であることが求められる。皇子が生まれれば女児を、皇女が生まれれば男児を。
 そうして芳姫と龍炎は巡り逢っているのだ。二人の仲の良さを見ている鈴麗は、それが普通なのだとずっと思っていた。

 だが、父は、輪廻転生の話は変わりないにしても、神々の元へ辿り着くには、自分自身で魂を磨いていく必要があるのだと説明する――それが神族の考え。
 何度も転生を繰り返し、魂を鍛錬した結果生まれてくるのが、神族。ひとつ上へ辿り着いた証として、人間とは違う命の長さと魔力の強さを与えられる。
「我々も人間とさほど変わりない。確かに一段上に辿り着いた存在ではあるが、まだ道の途中にいる求道者でしかないんだ」
 この石碑に刻まれる通りだ。何を以って魂が鍛錬されたというのか鈴麗には判断できないが、ただ転生を繰り返しても、神々の元へその魂が辿り着くことはないのだという。この魂に宿命など何もない。それを刻み付けるのは、魂を身に宿す命そのもの。
 いつか神々の元へ辿り着くために、自分の抱える魂に何を刻み付けるのか、それが修行であり、神族が目指すものだ。
 いずれ自分の目の前に神々の世界へ続く道が開かれることを信じて――。

 鈴麗は両手を陽に透かしてみた。
「私も……そうやってここに辿り着いたの?」
 ただ、神族の父を持ち、鳳族の母を持った。ただそれだけで?
「そういうことだね」
「だって、何も知らないのに?」
 父の話が正しければ、鈴麗も道の途中にある者だ。今の自分よりもずっと前。鈴麗として生まれるずっと前の過去で転生を繰り返し、魂を磨いてきたということになる。
 けれど、その努力の一切を鈴麗は知らない。それは神族だって同じだろう。何を以って自分たちがひとつ成長した存在であると信じられるのか。寿命が長いから? 人間の使えない魔術を使えるから? この石碑を知っているから? ――たったそれだけで?
 そんな脆い足場の上に立っていられるのか――と鈴麗は思った。自分の努力で得たものなら、胸を張っていられる。けれど、自分の与り知らぬこと――知りもしない過去、前世などというものを頼りにした足場なんて。
 確かなものは今の自分だけだと思うのに。

 鈴麗の吐露に、父は静かに笑った。
「鈴麗の気持ちは当然だね。我々も同じだ。自分たちが信じてきた自分の正体に疑問を持ったこともある。見失いそうになったこともある。――けれど、そうやって信じてきたものを証明した人がいるんだ」
 自分たちは、魂の鍛錬を繰り返し神々にひとつ近づいた存在として生まれてきた者。
 それを証明する、ということは。
「過去の記憶がある人がいるの……?」
 鈴麗の呟きに父は頷く。鳳族の中でも、そんな話は聞いたことがない。運命の伴侶、比翼の魂と呼ばれる芳姫と龍炎でさえ、そんなことは話していなかった。一緒にあることを当然のようには思っていたけれど。
「そう、たった一人だけれどね。――けれど、我々神族はそれによって救われた」
 今の自分たちは、確かに魂の鍛錬の途中にある。ならば、同じように転生を繰り返していけば、いずれこの石碑が示すように神々の地へと辿り着けるだろう――。ただ一人、過去の記憶を持つ者がいれば、それは証明される。人間と自分たちの違いに安心できる。
 今朝の愛林の話を思い出して、鈴麗は思い当たった。


『海苓殿は……そうね、時の人、とでも言ったらいいかしら』
 今日も王宮へ行くのだと聞いて愛林ははりきり、衣装合わせから髪型まで綿密に検分した。鈴麗がぐったりするのを見て笑いながら髪を結っていく。
 王に謁見するわけではないからと昨日よりいくらか装飾も抑え目にされた鏡の中の自分を見ながら、鈴麗は愛林の話を聞いていた。
 ことは鈴麗が海苓について尋ねたことから始まる。
 父の話からも、王の口から名が出たことでも、何より敵国の皇女に術をかける役目を任されたあたりからでも、只者ではないと分かる。
『知らない者はいないわ。まずは期待の武官ね。二十五にもならないのに武術にも魔術にも優れている……見目も麗しいから、王宮の女官たちは憧れの目で見ているそうよ。これだけなら他にも同じような人はいるだろうけれど、魔術の才も普通の人とは違うと聞いたわ』
 それは鈴麗も予想できる範疇ではある。父も言っていたし、あの王宮で王にも神官にも言われたことだ。
『でも何より、海苓殿が私たち神族の間で有名なのは、彼が証明者だからよ』
 

 自分でもよくわからないで聞いていた。だがあそこで愛林に重ねて尋ねていれば、それが過去の記憶を持つからなのだと分かったはずだ。
「それが、あの海苓殿、なんだね」
「そう、昨日逢っただろう」
 不思議、と鈴麗は思った。
 過去の記憶を持つ人。神族の拠り所となる人。神族の中でも抜きん出て秀でる人。
 その人が、どうして鳳族の中でも重鎮である龍炎と、似ていたりするのだろう。
 見据えられたあの冷たい瞳を思い出して、鈴麗の心はわずかに震えた。



2008.3.15


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