4.
時間が止まったかと思うほどだった。
ケヴィンは息を詰めたままリースの返答を待っていたし、そのリースは凍った表情のまま黙りこくっている。
「隠すって……、一体何をですか?」
次に聞いたリースの返答は、明らかに彼女らしくない、冷静さを欠いたものだった。
口元まで持ってこようとしていた紅茶のカップをゆっくりと皿と共にテーブルに戻した―――が、カップは勢いよくテーブルにぶつかり、かちゃんという音と共に紅茶の表面が揺れる。
「……オイラの口から、言って欲しい?」
この期に及んで、ここまで追い詰められてもなお隠し通そうとするリースに、ケヴィンの声がやや怒りをはらむ。リースの返答を待たずに、ケヴィンは続けた。
「アンジェラの隣にいる、デュランを見たくないからだって」
「―――」
リースの表情から、完全に笑みが落ちた。見る見るうちに、リースの表情は、一週間前にローラント城でケヴィンが見た顔へと変わっていく。
晴れ渡る空の色を宿す瞳は、はるか遠くのただ一点を見つめたまま動かない。
「結婚式ぎりぎりまでフォルセナに来なかったのだって、仕事が忙しかったからじゃない」
「……やめて」
リースはケヴィンの声を聞きたくないとばかりに耳を塞いだ。
ケヴィンはほんの一瞬だけ躊躇する。
次の言葉を言えば、リースが作り上げた、心を隠す壁は間違いなく崩壊する。この場に立つために、あの招待状を受け取ってから彼女が必死になって押さえ込んだだろう気持ちを、それは無理やり引き出す言葉だ。
けれど、ケヴィンが迷ったのは、その一瞬だけだった。
「アンジェラを祝えるわけないからだ。リースのこと知ってるのに、デュランを奪っていくから―――」
「―――やめて!」
リースは、悲鳴とも思える叫びとともに、叩きつけるような勢いで両手をテーブルにつき立ち上がった。
ケヴィンを見上げ見据えるのは、確かに潤んだ蒼い瞳。
「あなたに何がわかるの!? 世界のためと言われて、『王女』の私に何が出来るというの!?
デュランが承諾したのなら……っ、……私には……!」
その後は、言葉にはならなかった。
玉を結んでこぼれた涙が、頬を伝っていく。リースの叫びに呼応して溢れた涙は、彼女の隠した想いそのもののように、もう止まらなかった。
「リース……」
ケヴィンは、胸の痛む想いで彼女を見ていた。
泣くのを見るのは辛い。彼女には笑顔でいて欲しいとずっと思っていた。
でも、デュランのことを想って泣くリースは、やっぱり綺麗だとも思えたから。
そして、ケヴィンはそんなリースが大好きだった。
(やっぱり、デュランには敵わないんだ)
意を決して、ケヴィンは彼女に手を伸ばす。壊れ物を扱うように、そっと彼女を包み込んだ。
旅の頃より伸びた背だから、できること。
「オイラが壁になる。……誰も聞いてる人なんていないから、思い切り泣いていいよ」
泣いて泣いて、涙が枯れるほど泣き続けて。
悲しみをすべて洗い流した後は。
また彼女が再び笑ってくれますように。
その言葉に刺激されたのか、はるか上の天井に、静かな泣き声が響いたのだった。
「……落ち着いた?」
一帯にまた静けさが戻る頃、ケヴィンはリースを見下ろした。
どのくらいの時間、そうしていたのだろう。外はまだ明るいし、立っているのも疲れてはいないから、思ったほど長い時間ではないのかもしれない。
リースの目は赤い。涙で化粧は少し落ちていたし、目の周りもいくらか腫れているようだ。
「はい、……もう大丈夫です……」
それでも、リースの表情は心なしか明るい気がした。浮かべる笑みも、作り物めいたものではない―――もちろん、まだぎこちなくはあったのだけれど。
「リース、このまま、ここで休むか?」
「……いいえ、また戻ります。お化粧を直さなくてはいけないから、少し時間がかかりますけど」
「そうか」
ケヴィンは笑った。
「じゃあ、オイラ、先に行って待ってる。リースの分の料理、とって待ってるよ」
リースは、くすっと笑った。ケヴィンの、彼らしい言葉の内容がおかしかったらしい。
「……はい、待っててください。食べたら駄目ですよ」
「リースの分までは食べないよ」
他のはどうかわからないけど。
そう言い置いて、ケヴィンは離れの扉へと向かう。入ってきたときのように音もなく扉を開けた。差し込む午後の日差しがまぶしい。
外へ出る前に、ケヴィンが後ろを振り返ると、リースはドレスの裾を持ち上げて自分の控え室へと入るところだった。
うん、きっと大丈夫。リースはちゃんと来る。
安堵の息を吐きながら、外へ出て扉を閉める。顔を上げたケヴィンの視界に、横からホークアイが現れた。
「……うまくやったみたいだな」
どうやら一部始終を聞いていたらしい。
「……外まで、聞こえてた?」
「いや、たぶん大丈夫だ。俺は、ちょっとね」
彼は歩いてきた方向を示す。ホークアイお得意の、盗賊の技でも使ってどこかから忍び込みでもしたのだろうか。
「喧嘩でも始めるんじゃないかと思ってね、あっちをシャルとジェシカに任せて、お前を追っかけてきたんだよ」
まあ、なんにせよ、騒動になんなくて良かったよ。ホークアイは笑って言った。
「デュランの名前ばっかり出してたときは、ホントどうなるかと思ったけどな」
「……オイラ、リースには、デュランのこと忘れて欲しくなかったんだ。おかしいかな」
ケヴィンが尋ねると、ホークアイは頭を振った。
「いや、別におかしかないだろ。……いいんじゃねえかな、それで。ただ、俺がその立場なら、たぶんそう言わないってだけで」
ホークアイの言葉に、ケヴィンは頷いた。
きっと、普通はそんなことを言わないのだろう。
でも、デュランのことを想っているリースが、一番綺麗だと、ケヴィンは知っていたから。
「さて、俺たちもパーティに戻りますか。リースの料理もとっとかなくちゃいけないからな」
そう言ってホークアイは歩き出し、ケヴィンもその後に続く。
空は、今日という日を祝うように、どこまでも爽やかに晴れ渡っていた。
オイラは、デュランのこと想ってる、リースの笑顔が好きなんだ。
だから、デュランには敵わないけど。
旅の間、ずっと見てきた、デュランの隣にいたリースの笑顔。
―――その笑顔を取り戻したい。