2.
「じゃあ、ホークアイは元気なのか」
「ええ、全くもって元気よ。曽孫を前にしてあのだらしない顔ったら」
ビーストキングダムを訪れたシャルロットは、久しぶりに会ったケヴィンに先ほど会ったばかりのホークアイの話を聞かせていた。
「ホークアイか……、懐かしいなあ……。今も昔と変わってないんだろうな」
「そうね……四十年前のあの頃と、中身はあんまり変わってなかったわ」
四十年あまり前にリースがこの地に嫁してきてから、獣人だけしか居なかったこの地は変わりつつある。人間達も入植し、他の地へ移る獣人達も少しずつだが増えつつあった。
もちろん、考え方、文化の違う人々が交じれば、それ相応のすれ違いも生じよう。
人間と獣人の間に溝が生じようとするのを常に収めていたのはケヴィンとリースだったのだ。異なる種族ながら絆を作り上げた新たな獣人王とその伴侶を、人々は人間と獣人の掛け橋として慕っていた。
だから、リースが亡くなったときには国中の人々が嘆き悲しんだものだったが。
「今は、だいぶ落ち着いてきたみたいね」
「いつまでも、嘆き悲しんでるわけにもいかない」
「そうね」
リースを慕っていた人々も、ゆっくりと新たに歩き出している。忘れたのではない、それぞれの心の中に、彼女の存在を収めて、また歩けるようになっただけなのだ。
ふと、ケヴィンは表情を引き締めてシャルロットに言った。
「来てくれるのを待ってたよ。二年経って……どうしてもシャルロットに聞いてみたいことがあったんだ」
「あたしに?」
シャルロットがおうむ返しに尋ねると、ケヴィンは静かに頷いた。一見見ただけでは、老齢の男性が、その孫とも思えるうら若い女性に昔語りをしているかのようにも見える。けれど二人は同い年。かつて共に戦った、仲間なのだ。
「あのとき、俺は、彼女がデュランに会えるまで、自分なりの精一杯で幸せにすると誓ったけれど……果たしてリースは幸せだったんだろうか、ここに居て?」
ここに―――居て。
それは、ケヴィンがリースを看取ってからずっと心にあった疑問だった。
愛する男性と生涯を分かつことができず、別の男と結ばれて子供をもうけた彼女が。
決して癒すことのできない死の病に侵され、母国へ帰ることもなく永遠の眠りについた彼女が。
あの約束の地を二度と踏むことなく逝ってしまった彼女が。
果たして本当に幸福だったのかと。
問われたシャルロットは一瞬目を瞬き、―――次の瞬間には笑い出していた。
「四十年以上連れ添っておいて、今更迷っているの?」
ケヴィンはちょっとむっとする。姿はすでに老齢であるのに、なぜか一瞬あの旅した頃の十五歳の姿が、シャルロットには見えた。
「どうして、リースが幸せだったのかって考えたの? ケヴィンはリースが幸せでいられるように、この四十年頑張ってきたんでしょう?」
「……確かに、そうさ。けど、なんだかふと、押しつけがましかったんじゃないかと思ったんだ。リースは、デュランと出会わない限り幸福になんてなりえないだろう?」
ケヴィンはシャルロットを見る。
彼女は優しげな笑みを浮かべていた。何もかもを知り尽くした全てを包み込む老女のような笑みは、二十代の若々しい娘が浮かべるには不似合いだったのだが、それが彼女の本来の年齢を教えている。そして、それゆえに美しい笑顔であった。
「最愛の人と結ばれなくても、幸せになることはできるわ。それに、幸せかどうかなんて、それぞれ本人にしか分からないことだし」
……とそこまで言ったところでシャルロットはにっこりと、彼女らしい表情を見せた。
「……なぁんてね。ケヴィンが訊きたいのはそういうことじゃないのよね。一人で悩んでたら、きっといつまでたっても終わらないだろうから、あたしが言うわ。
―――リースは幸せだったわよ。
デュランと一緒になったからって、リースがこれだけ幸せになれていたかなんて分からないわ。所詮、あたしたちが辿り着いた未来ではないのだもの、推測することしかできない。
もし、デュランとリースが一緒になれていたら、二人が得られる限りの最高の幸せを手にできたかもしれない。―――ただそれだけのことよ。
リースはこの地に生きて、間違いなく幸せだったわ。それはあたしが保証する」
だからこそ、リースはたとえ死の縁にいても夫が傍に居ることで笑っていたのではないのか。最期のその瞬間に傍に居てくれた夫に「ありがとう」と言ったのではないのか。
シャルロットの答えに、ケヴィンはやっと心からの笑みを浮かべることができた。
笑顔でいてくれれば、幸せでいてくれたら。
それを想ってともに歩んできた。その答えに辿り着かないうちに彼女は旅立ってしまったから。
「―――ありがとう、シャルロット」
「いいえ、どういたしまして。―――デュランも、リースも、幸せに生きて、そうしてもう一回幸せになる。それだけのこと。ある意味ほかの人より幸福でしょう」
(―――だから、あなただって苦しむことはなかったのよ、アンジェラ)
ケヴィンと笑いあいながら、シャルロットはもう一人の悩みを抱えた人を思う。
また、彼女に会いに行こう、あの場所から帰ったら。
「じゃあ、そろそろ行くわね。今日のうちに行っておきたいところがあるから」
シャルロットの言葉に、ケヴィンは頷いた。
「ああ、そうか、今日がそうなのか……。よろしく、頼むよ」
「ええ、今日行くわ……『約束の地』に」
ビーストキングダム、その城の屋上で、シャルロットはフラミーを呼び、ケヴィンに見送られながら彼女は天空へと舞い上がり、そうしてはるか彼方へ飛び去った。
あの方向は―――バストゥーク山脈。
「そうか……今日が『約束の日』だったのか……」
ケヴィンは眩しそうに青空を眺めながら祈った。
どうか。
どうかあの二人が『今』幸せでありますように。