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彼は、フェアリーに選ばれし『聖剣の勇者』さま。女神のもとで眠るマナの剣を手にし、女神と世界を救う者。
他人に優しく仲間を大切にする、自分に最も厳しい者。
これは、そんな『勇者』さまの日常の、ささやかな幸せを覗いたお話。
「そういえば、もうすぐ『バレンタイン』なんでちねえ」
金髪の巻き毛を揺らして辺りを見回したシャルロットは、ため息とともに呟いた。
目の前の店の商品も、どことなくそれを意識した配置になっているような気がしないでもない。とどめのように隣にある菓子店では、表に可愛らしく包装されたチョコレートが並んでいて、ひっきりなしに若い女性の出入りがある。
知っていれば、否が応でも意識せざるをえない。
「いわれてみれば、そんな季節なんですね」
シャルロットの隣で、流れるような金髪の少女が買い物籠を片手に持ったまま穏やかに応じた。籠の中には携帯用の食料やら、保存が利くような食材やらが入っている。
とりあえず、甘いお菓子とは無縁な品揃えだ。
視線をもとに戻し、探していた固形のスープの素を見つけ出すと、シャルロットは小さなため息とともに娘の持つ籠に放り入れる。
「まあ、『聖剣の勇者さま』であるシャルたちには、関係のないことでちけどね」
両手を広げて負け惜しみのようにシャルロットが言うと、娘は堪えきれないとばかりにくすくすと笑った。
「何がおかしいんでちか、リースしゃん」
「いいえ、何でも」
シャルロットが横目でじろりと睨むと、リースはにこやかな表情のまま頸を横に振る。話題を変えるように、リースが尋ねてきた。
「シャルロットはバレンタインにはチョコレートをあげたりしてたんですか?」
「もちろんでちよ! シャルの愛するヒースに手作りのチョコレートをプレゼントするんでち! あとは、ミックとかおじーちゃんに義理チョコでちかね」
胸を張ったシャルロットの答に、再びリースが笑う。
「リースしゃんは何もしてなかったんでちか?」
「そうですねえ……。ローラントは女ばかりですから。お互いに作ったものを交換したり、お茶会くらいはしていましたけど」
リースの答を聞いて、シャルロットはアマゾネスたちの守るローラント城を思い返していた。確かに、生き残った兵士たちばかりだったとはいえ、男性の比率はとても低かった。パーティ唯一の男性だったデュランは、隠れ家にいる間酷く居心地が悪そうな様子だった気がする。
そういうのも賑やかで楽しいかもしれないと、シャルロットは思った。何しろ光の神殿に同世代の娘はあまりいなかったから、そういう機会に恵まれなかったせいもある。
「でも、今回はそれどころではありませんね」
「そうでちよね」
シャルロットは心底残念そうにため息をつく。
今も買出しをしているのは神獣と戦うための用意で、旅立てばしばらく街へは戻ってくることはできない。バレンタインの頃は旅の真っ最中だ。
そして、さらに残念なことに、彼女がチョコレートをあげるべき相手は、ウェンデルにはいないのだ。
マナの剣を奪い去った竜帝は同じように剣を狙っていた連中をも一掃してしまった。仮面の導師は殺され、そのもとにいたヒースはどこかへ姿を消して―――今は行方は知れない。彼を探し出さない限り、バレンタインも何もあったものではないのである。
とりあえず、そんな現実があるので自分のことはおいておく。
「たまには休んでそんなイベントをするのも、悪くないと思うんでちけどねえ」
シャルロットはぼそりと呟いた。一緒に旅を始めた頃の思いつめた様子はないものの、紅蓮の魔導師との決着をつけることにこだわっているデュランのことを思う。
本当に今でこそ落ち着いてきてはいるが、最初の頃はわき目も振らずに先に進もうとまさしく猪突猛進だったのだ。今でも、彼にとって余計な休息をすることは嫌がる節がある。
そんな肩肘張っていてはいつか崩れてしまうのではないか、というのがシャルロットの個人的な見解であった。
「そうですね。今まで神獣を倒すためにずいぶん走り回ってきましたから、少しくらい休んでもいいと思うんですけどね」
シャルロットの言葉に頷いて、リースは優しく微笑んだ。もしかしたら、彼女も彼のことを考えているのかもしれない。
でも、たとえそれをどちらかが提案したとしても。シャルロットは想像してみる。リースも同じように考えたのだろうか、どちらからともなく言い出した。
「たぶん、デュランはそう言いますよね」
「そう答えるに決まってるでち」
少し休んでみたら。そう提案してみたとしたら、デュランはなんと答えるか。二人の予想は完全に一致したらしく、二つの声は見事に調和する。
「『そんな暇があるわけねぇだろ』」
一句どころか一文字も違わない。言った本人たちがそのことに驚いて眼を瞬かせている。一瞬後には、二人ともここが人通りの多い店先であることも忘れて笑い出した。
「やっぱり、リースしゃんもそう思うでちか」
「シャルロットも同じことを考えていたんですね」
ずいぶん長く一緒に旅をしてきたとはいえ、年若い娘二人に行動を読み取られているようでは『勇者さま』もまだまだのようだ。笑いながらシャルロットは思った。
しばらくすると笑いも何とか収まり、他愛のない話を続けながらシャルロットとリースは買出しを再開する。
買い忘れがないことを確かめ、清算してずいぶん多くなった荷物を分担して何とか二人で抱えたところで、リースが思い出したように呟いた。
「……やっぱり、やりましょうか。『バレンタイン』」
「はへ?」
終わったと思っていた話を持ち出されて、荷物を背中に背負い込んだシャルロットは前かがみのまま奇妙な声を上げる。
「街できちんと休息を取らなくても、少しは休んだ方がいいと思いませんか?」
「そうでちねえ……」
シャルロットは自分とリースとが抱えている荷物を見て考える。
三人で分担し、旅の間に消費されるとはいえ、大部分の荷物はデュランが持っている。そして、この荷物の中でかなりの割合を占める食材を使って料理をするのは常にデュランの役目。ついでに言えば、野宿の際の火の番や見張りもたいていは彼が引き受けてしまう。
……一体どこに休息する暇があるのだろう。
そう考えて、シャルロットは眉間に皺を寄せた。
「……シャルは賛成でちね。デュランしゃんもそうでちけど、シャルたちだって休息は必要でちよ」
デュランよりも自分たちに重きを置いた返事で、シャルロットは賛同する。荷物を抱えたまま、リースは満足げに笑った。たぶん、シャルロットの意図を汲んでくれたのだろう。
「それなら、決定ですね」