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瞳を開ければそこにあるのは暖かな場所。
心落ち着く、居心地のいい空間。
この二人と一緒に旅ができてよかったなと、心から思った。
目が覚めたのは、鼻孔に程よく漂ってきた美味しそうな匂いのせいか、それとも耳に響いた優しい声のせいか。
ゆっくりと瞼を開けて、デュランは自分が眠っていたことに気が付いた。
「デュランしゃん、起きたでちか?」
「よく眠れたみたいですね」
楽しそうにこちらを覗き込むリースとシャルロットの顔を視界にとらえて、デュランの意識ははっきりと覚醒する。がば、という音がぴったりの勢いで前に傾いていた体を起こすと、目の前に二人の少女が座り込んでいた。
「俺……寝てたのか?」
足元には剣と磨くための布が転がっている。我ながら間抜けな質問だと思いつつ尋ねると、笑いながらリースが頷いた。
「はい、とっても気持ちよさそうでしたよ」
その答を聞きながら、デュランは頭をかいた。
追い出されたものの二人の様子が気になって仕方がないので、気を紛らわせるために後回しになっていた剣の手入れを始めたことは覚えている。
隣が気になっているせいで手入れにもなかなか身が入らなかったのだが、ふと考え事をしているうちに眠気が襲ってきて、そのまま眠ってしまったらしい。何かをしている最中に眠ってしまうなど、デュランにしてみればめったにないことだった。それだけ疲れていたということだろうか。
「少しは、疲れも取れましたか?」
考えを見透かしたかのようなリースの質問にデュランは驚いて眼を瞬かせたが、ゆっくりと頷いた。それを見たリースは、とても満足そうに微笑む。その笑顔が何故か嬉しくて、デュランもふっと笑い返した。
「ああ、すっきりしたよ。二人が休ませてくれたおかげかな」
「そうそう、夕食ができたんです。うまく作れましたから、デュランも味見してみてください」
「早く食べるでち、シャルはもーお腹が減ってたまらんでちよ」
リースに示されて目を向けると、引っ張り出された小さな卓に並べられた皿には、いい匂いのするシチューが盛り付けられている。先ほどかいだ匂いはどうやらこれのようだ。思わず腹が音を立てそうな、食欲をそそる匂い。
シャルロットに急かされて、デュランは席に着く。本日の夕食は、パンと、クリームシチュー。リースとシャルロットがじっと見つめる中、デュランは皿の横に置かれたスプーンをとった。
一口すくって食べてみる。いつも自分が作るものとはほんの少し違う味が口の中に広がる。野宿のとき、他人が作ったものを食べるのは初めてだった。自分の好みに合わせて作りがちな自分の料理とは違う、美味しさ。
「どうですか?」
そっと尋ねてくるリースに、デュランは笑みを浮かべて頷いた。
「うん、美味いよ」
デュランの言葉を聞いて、二人とも嬉しそうな様子だ。いつもとわずかに違う雰囲気の中で食事が進む。一口で食べるには少し大きいジャガイモが転がり出てくればそれはシャルロットが切っただの、薄っぺらなニンジンが見つかればそれはリースが切ったのだと暴露話が飛び交って、食卓は笑い声が絶えない。
宿屋や料理屋で食事をするのとは違う。誰かに料理を作ってもらうのは久しぶりだ。人の作った料理を食べるのは、こんなに暖かいものなのだなとデュランは思った。
後片付けもリースとシャルロットが引き受けて、それを待つ間、デュランは先ほどやり損ねた剣の手入れをすることにした。しっかり磨き上げたところで、甘い匂いとともに二人が戻ってくる。リースの手にあるのは盆に乗せられたティーカップが三つ。
「紅茶を入れてきたんです。デュランもどうですか」
剣と手入れの道具を片付けると、デュランはリースが笑顔で差し出すティーカップを受け取った。
鼻孔をくすぐるのは甘いチョコレートの香り。けれどカップの中にあるのは確かに紅茶だ。普段リースが入れてくれる紅茶より若干色は濃いけれど。
「匂いは甘いですけど、味はそれほど甘くないですよ」
そう言われて、デュランはそっとカップに口をつけた。リースが入れてくれる紅茶が、デュランは嫌いではない。甘いものはどちらかというと苦手なのだが、リースはそれを分かっていて茶葉を選んでくれるからだ。
匂いから想像するほど甘くはなかった。かすかに感じるチョコレートの味。チョコレートを食べるよりすっきりして、美味しい。
「これは?」
思わず顔を上げて問い返すと、シャルロットにカップを渡したリースは自分の分のカップを持って座り込んだ。
「チョコレートのフレーバーティーです。たまにはこんなのもいいんじゃないかと思って。 美味しくなかったですか?」
リースの問いに、デュランは首を振る。
「いや、美味いよ。俺にはチョコレートよりこっちの方が合いそうだな」
「今日はバレンタインでちからね。今日の夕ご飯とこの紅茶は、シャルとリースしゃんからデュランしゃんへのプレゼントでちよ」
シャルロットのその言葉を聞いて、デュランはそんな行事もあったことを思い出す。もともと縁のない行事ではあったが、最近は神獣のことばかりが頭にあって、そんな季節だということも失念していた。
「そうか、バレンタインだからチョコレートね……」
ゆっくり休んで、美味しいシチューに最後は甘さ控えめのチョコレートティー。これがプレゼントだとしたら、もう十分すぎるかもしれない。
デュランは目の前で楽しそうに笑う二人に礼を言った。
「ありがとう」
「どういたしまして、でち」
シャルロットもにっこり笑ってお辞儀をする。その隣にいたリースが、ふと真剣な顔になって言った。
「でも、デュラン。プレゼントだから休む、じゃなくていいんですよ。疲れたときはいつでも言ってくれてかまわないんです。私たちは三人で旅をしているんですから」
リースの言葉に、デュランは目を見開いた。
何のために三人一緒に旅をしているのだろう。
大変なことも、辛いことも。一人で背負うことはない。三人いるのだから、それぞれで分け合えばいい。困難があったら、三人で解決策を考えればいい。
聖剣を抜く勇者だと言われて、気負いすぎていたのかもしれない。あるいは、マナの剣をむざむざ奪われた焦りもあったのかもしれない。
言われた途端に、すっと心が軽くなったような気がした。
「そうか。そうだな。……今日のシチューも美味かったことだし、今度から疲れてるときは、二人に頼むことにするよ」
「はい、任せてください。今度も美味しく作りますから」
デュランがそう答えると、リースは笑顔で応じる。ほんの一瞬、視線が絡み合った。しばらく前まではまったく知らなかった他人とこうして一緒に旅をして、思い合える幸せ。悪くないかもしれない。
「ところで、この紅茶、シャルはもう少し甘い方が好みでちね」
「あ、それなら今度はミルクを入れましょうか。まだお茶の葉はありますから」
「俺もおかわりしていいか? あ、ミルクなしで」
「はい、じゃあ新しく入れてきますね」
旅立った理由は辛いこと。目指す場所は、あまりに遠くて先も見えない。待っている未来は、決して楽なものではないはず。
それでも、その辛い旅路の間に休息があってもいいはずだから。
明日からは、三人で楽しく行こう。
Happy Valentine for You !