1.『鈴』―――夢見
夢を見た。
懐かしい都の夢。まだ、祖母も母も健在で、怨霊も現れていなかった頃の夢。
今よりも幼い自分と、兄と、まだ小さな弟と。
これから先にある悲しみと、闘いと、別離とを知らずにいた無邪気な様子の三人は、春の訪れを告げる、桜の下に立っていた。
いつまでも、止むことのない薄紅色の雨。
それを、三人はいつまでもいつまでも、見上げていたのだった。
別れてから、既に幾月も経つ、たった三人きりの兄弟である兄と弟。
(兄上……賀美野……)
もう二度と会えない二人を思うと、胸が苦しいほどに切なくなり、涙が溢れ視界を遮る。そして、兄と弟の姿は、涙の帳の向こうにかき消えたのだった。
急速に鈴の意識が覚醒したとき、外はまだ鶏さえ鳴かない、暗闇の中に沈んでいた。家の者はまだ眠っている時間。
目を開けているのかも疑わしくなるような暗闇の中で、鈴は目を瞬かせる。頬を伝う温かい感触が、確かに涙を流したことを教えてくれる。
(夢……)
鈴は、被っている衾をさらに体に巻きつけて縮こまった。
明確な姿で鈴の前に現れた兄と弟は、武蔵の生活に慣れ、楽しむのに精一杯だった鈴に、二人との別離の悲しみを思い出させるのに十分だった。
兄は穏やかに過ごしているだろうか、賀美野は夜泣いたりしていないだろうか……。
思い出すと、胸の中が苦しさでいっぱいになり、鈴は溢れてくる涙を隠すように顔を衾に押し付ける。
再び眠りに落ちることも出来ないままに、鈴は鶏が夜明けを知らせて鳴くのを聞いたのだった。
朝餉の手伝いに行かなければいけない。慌ただしく布団を片付けた鈴は、軽く身だしなみを整えると台所へと向かう。
途中で阿高とすれ違った。眠気のかけらもない、すっきりとした顔である。相棒である藤太の姿は傍になく、まだ衾と仲良くしているに違いなかった。
「おはよう、鈴」
阿高は鈴の顔を見ると、その口元に笑みを浮かべて挨拶をした。鈴も微笑んで応じようとしたとき、阿高の顔が怪訝な表情に変わる。
「……どうした、鈴。何かあったのか?」
鈴の様子が何かいつもと違うことに気付いたらしい。鈴は慌てて首を横に振ったが、阿高の表情は変化がない。
涙の痕でも残っていただろうか。鏡を見て、涙の痕がないことも、目の赤さがさほど目立たないことも確かめてきたのに。
「……なんでも、ありません。少し、寝付けなかっただけです」
搾り出すように微笑んで、鈴は阿高の横を通り過ぎ、台所へと向かった。
気付かれてはいけない。阿高に心配させてしまうから。