おまけ
「あのね、阿高……」
阿高の温かさに包まれたまま、彼の胸に頬を押し付けていた鈴だが、ふと思い出したように言った。
見上げると、阿高が不思議そうな顔で見下ろしている。
「わたくし、満開の桜も好きだけれど、散り際に吹雪くのを見るのも好きなの」
「そんなこと」
阿高は笑って言った。とても嬉しそうに見える。旅の間、自分に向けることがあるとは思いもしなかった笑顔。
「じゃあ、その頃にまた見に来ればいい。簡単なことじゃないか」
それなら、約束しましょう、と鈴が右手の小指を差し出すと、阿高もこともなげに応じる。指を切ったところで、鈴は小さな声を聞いた。
(……と、……かれたら……)
(……ずかに、……)
突然、阿高の動きが止まって、表情が引きつる。
「……ごめん、鈴。少し待ってて」
阿高は鈴から手を離した。そのままきびすを返し、上ってきた山道の方へと向かう。ただし、わずかに方向を逸れて、傍らの茂みで立ち止まった。
「……何、そんなところに隠れてるんだよ、藤太っ!」
声と共に阿高が勢いよく茂みをかき分けると、そこに藤太と千種が座りこんでいた。
「藤太。……千種さん?」
鈴は呆気にとられて二人を眺めた。藤太はともかく、まさか千種がそこにいるとは思わなかったのだ。
「よ、よう、阿高、鈴」
「ほら、だから止めなさいって言ったじゃない……」
藤太は引きつった顔を浮かべて立ち上がり、鈴に向かって手を上げた。その後ろであきれた様子でため息をついている千種。
「何覗いてるんだよ」
阿高の声は不機嫌そのものだが、その耳は赤い。鈴からは見えないが、どうも聞かれていたことを知って顔は真っ赤にでもなっているらしい。
「いや、叔父様としてはだな、可愛い甥っ子の行く末を見守っててやろうと……」
「それを覗いてるって言うんだろう!」
既に阿高は藤太の胸倉をつかんでいる。
じゃれあうようなものとはいえ取っ組み合いでも始めそうな二人を、どうしたものかと鈴が見守っていると、すぐ傍に千種が寄ってきた。
「鈴ちゃん、ごめんなさいね。藤太に連れられてここへ来たら、二人がいたものだから、藤太ったら、二人の様子を覗いてやろうだなんて言い出して……」
申し訳なさそうな様子の千種に、鈴は頭を振った。
「いいえ、わたくしはかまいません。……千種さんも藤太に連れられてきたのですか?」
鈴が尋ねると、千草は苦笑した。
「さすが二連ね。藤太も阿高と同じことを考えていたみたいなの。阿高に先を越されて悔しがっていたもの」
つまりは、藤太もここに桜を見せるために千種を連れてきたのだろう。
鈴は後ろを振り返った。
枝いっぱいに零れそうなほど咲いた桜の花。
また、ここに桜を見に来る。今度は藤太や千種と一緒に、四人で見に来るのだって悪くない。
そう、これから先、何度でも。
武蔵はとてもいい土地。
伝説として伝わる、この地に暮らしたという皇がいたというのもわかる気がする。
阿高がいて、藤太がいて、千種さんや広梨や、他にも優しい人たちがたくさんいて。
阿高、わたくし―――今、とても幸せです。