4.『阿高』―――誓い
いきなり言われたせいなのか、鈴は驚いた様子だった。
「どうして、わかったの?」
美郷さんも誰も気がつかなかったのに、と鈴は言った。
それはそうだろうと阿高は思った。ほんのわずかな変化でしかなかったのだから。阿高だから気付いた。一番鈴のことをよく見ているのは彼だから。
見抜かれたことに焦っているらしい鈴を地面へと下ろすと、阿高は答えた。
「いつもより目が赤かった。……だから、泣いてたのかと思ったんだ」
そして、いつもは快活に笑って挨拶をしてくれるのに、どこか暗い顔をしていたからでもある。
笑顔が見たくて、阿高は鈴をここに連れてきたのだった。
花を見るのが好きだと言っていたから。
「だから、ここに連れてきてくれたの?」
鈴の質問に、阿高は頷いた。
ここは二連と広梨、茂里の四人でよく遊んだ隠れ場所のひとつでもある。彼らだけの秘密で、他の誰にも教えたことはなかったが、鈴になら教えてもかまわないと阿高は思っていた。
鈴に、彼女が知らない自分のことを知ってほしい。そして、自分も彼女が生きてきた時間を知りたかった。
鈴は恥ずかしそうに微笑む。
「ありがとう……」
鈴はまた桜を見上げた。
「今朝、兄と弟の夢を見たんです。急に悲しくなって、少し、泣いてしまったんです」
やはり、と阿高は思った。彼女が悲しむことがあるとすれば、それは別れてきた兄弟たちのことだろうと。
「でも、もう大丈夫です。この桜を見て、気にならなくなりました」
「それは、良かった」
阿高にとっては、鈴の笑顔が見れるだけで嬉しかった。
舞い落ちる花びらを一枚一枚、鈴はその両手にすくって集めていく。風に揺れる花を追ってあちこち動き回りながら、彼女は嬉しそうに言った。
「こんな綺麗な桜は久しぶりに見たわ。兄上と昔見に行った桜も、それは見事な美しさだったの」
急に阿高の心の奥に影が差す。
それは彼の知らない彼女の時間。知りたいと思ったのは自分だったのだけれど。
彼女が笑顔でそれを話したことが、何故か無性に気に入らなくて。
「……どっちが綺麗だった?」
阿高は思わず尋ねていた。
「え?」
鈴が立ち止まる。目を丸くして阿高を振り返った。拾うつもりだったはずの花びらが、彼女の手をかすめて下へ落ちていく。
「安殿皇子と見た桜と、どっちが綺麗?」
阿高は真剣な眼差しで鈴を見つめる。
―――そして、彼女は即答した。
「兄上と見た桜もとても綺麗だったけれど、この桜の方がずっと美しいわ。―――だって、阿高と一緒に見ているのだもの」
阿高は顔が赤くなるのを自覚する。―――そう言ってもらえて、何より嬉しい。
考えるより早く、阿高は腕を伸ばして鈴を引き寄せた。彼女の両手に集まっていた数十枚の花びらが宙に踊る。
「阿高っ?」
状況を理解した鈴が奇妙な声を上げる頃には、彼女はすっぽりと阿高の腕の中に納まっていたのだった。
腕の中に触れる確かなぬくもり。得ることがあるとは思わなかった未来。
阿高は彼女が苦しまないように、けれどその温かさを確かめるように、そっと鈴を抱きしめた。
これから先何度でも、鈴は兄弟のことを思い出し、語ることがあるのだろう。
自分にとっての藤太のように、豊高兄や美姉のように。
彼女にとってはかけがえのない兄と弟なのだから。
二人を思って泣く日だってあるのかもしれない。
でも。故郷を想って泣く哀しみよりも、ずっとずっと大きな幸せと未来を、君にあげる。
笑って隣にいてくれるのなら、何だってする。
だから。
これからずっと一緒に生きていくんだ。
ここで―――永遠に。